豊田 尚吾
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2013年07月11日 |
豊田 尚吾
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住まい・生活 |
ライフスタイル |
研究報告 |
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はじめに
余暇という語は「余り(あまり)」「暇(ひま)」という、積極的イメージを感じさせない言葉によって構成されているため、それほど重要な価値を持たないと思われるかもしれない。しかし、生活者の幸福感を規定する、健康や家族との交流を実現するためには欠かすことのできない時間である。また、活用次第で様々な創造力を発揮できる、潜在的価値の大きい生活資源でもある。私たちは余暇についてもっと深く考察すべきだ。これが本稿の基本的な問題意識である。
例えば、経済学では余暇を以下のように定義している。まず1日(24時間)のうち、生きていくために不可欠な、睡眠、食事などに必要な時間を除いた広義の可処分時間を計算する。次に個人はその可処分時間を「労働」と「余暇」に振り分ける。もちろんその分け方は人によって異なる。
時間を労働に当てれば、お金(賃金など)という報酬が得られる一方、自由に使える時間ではなくなる。余暇に当てればその逆である。雇用条件やお金に対する価値意識によってどの程度働くことが最も自分にとって望ましいかを“意思決定する”のである。
結果として可処分時間から労働時間を引いた「余り」の時間が余暇となる。計算上は残った時間ではあるものの、自由に使える時間の価値と、自由をあきらめることによって得られる報酬と、どちらを選ぶかという葛藤の末での結論であるから、そこには本来、積極的な意味が存在していることは間違いない。
実際には「労働=お金を得るための苦役」とは限らず、人によっては仕事が生きがいであるとか、余暇との境目を意識していないとかいう人もいる。また、現実の雇用条件はそれほど柔軟ではないため、自分にとって望ましい労働時間があったとしても、それを実現することには困難が伴う。
睡眠や食事も必要以上に時間を費やすのであれば、そこに余暇的な意味が存在するとも考えられる。余暇といっても一様ではないのだ。
そこで拙稿では「生活における余暇」について仮説を設定し、ライフスタイルに関するアンケートデータ(※前頁参照)をもとに検証した上で、余暇をどう考えていくべきかについて提案する。具体的には年齢階層別余暇イメージのマッピングを行い、余暇意識による生活者のグループ分けをした上で、グループ別余暇充足感の影響要因について探索的分析を行う。
※「ライフスタイルに関するアンケート2013」
大阪ガス株式会社 エネルギー・文化研究所
実施時期:2013年3月9日〜14日
調査対象:日本全国(性別、地域、年齢階層がほぼ国勢調査と同様になるようセルの割り付けを行っている)
調査人数:5000人
実査:株式会社マクロミル
年齢階層別余暇イメージのマッピング
最初の問題意識(仮説)は「何が余暇であるかという普遍的な定義は共有されておらず、人によって異なるのではないか」ということである。これを確認するため、上記アンケートで「好きなテレビを見ている時間」など複数の選択肢について、それが「あなたにとって『余暇』のイメージにあてはまる」かどうかを尋ねた。ここでは年齢階層(5歳ごと)を切り口に、何がその人にとっての余暇かそうでないかをクロス表の形でまとめたところ、ほとんどの項目で統計的に有意な(意味のある)違いが確認された。
これを視覚化するためにコレスポンデンス分析という手法を用いて図示したのが図表1である。原点(0,0)近くの「趣味に没頭している(時間)」などはどの階層も「自分にとっての余暇である」と答える率が高いことを意味しており、反対に原点から離れている項目はその率が低いことを表している。例えば、「趣味に没頭」は全体の85%が余暇と認識し、「報酬(お金)の発生しない家事をしている時間」の場合は13%である。
図上で距離が近い言葉は、同じような回答者に「余暇である」と認識されていることを示し、年齢階層と言葉の距離も、近いほどその年齢階層に属する回答者に多く「余暇である」と認識されていることを示している。
図を見ると、若い年齢層では「SNSに書き込みしている時間」などの項目が余暇と見なされる一方、高齢層では「家事」や「ボランティア活動」が中年層と比べ余暇だと認識されているということが分かる。また、年齢階層が連続的な動きを図上で示してもいる。余暇イメージを形成する上で、年齢という要素に何らかの意味があるということが示唆されている。
年齢階層と同様に、性別やその他社会的条件によって、余暇というものが異なる概念として認知されているとするならば、余暇のあり方を論じる際にも、それを踏まえることが生産的な議論を行ううえで不可欠であろう。
余暇意識に関するグループ別余暇充足感の重要項目
次に、余暇に対する態度や考え方によって生活者をグループに分けたうえで、そのグループによって余暇満足度を高める要因が異なるのではないかという仮説を検討した。まず「余暇時間は自分のためだけに使いたい」といった、余暇や時間活用に関する7つの質問を行い、それをもとにクラスター分析を行って回答者を4つのグループに分けた。
グループ分け自体は統計指標を用いて機械的に行うことができる。問題はそれらが意味のあるグループかどうかである。紙幅の都合もあり、ここでは結果のみを図表2に示している。「グループ名」はそれぞれの特徴から、筆者がつけており、この妥当性には議論の余地があることは注記しておく。
ここでは少なくとも余暇に関する考え方や使い方について、ある程度意味のあるグループ分けが可能であるという前提で、グループごとの余暇満足度を高める要因について分析を行った。
その方法としては決定木(decision tree)を用いて、探索的な分析を行った。これは「余暇に対する個人の充足度」を説明すべき項目(被説明変数)とし、それと関係のありそうな項目を設定することで、統計的に最も意味のある項目を計算し、樹形図的な構造として構成する分析方法である。これにより、グループごとに、余暇に対する満足と関連の深い項目を抽出することができる(ただし、必ずしも因果関係を保証するものではなく、あくまで関係が深いことを計測するものであることには注意が必要)。
この概略をまとめたのが図表3である。グループ固有の変数として導出された項目を周囲に、他グループと共通の項目は中央に箇条書きしている。これを見ると公共人では地域の人との交流やよい社会というものに対して積極的であったり意識が高かったりする人が、より高い余暇満足度を感じているという結果となっている。他の結果を見ても、ある程度そのグループの志向を反映した項目が散見された。
以上のことから、余暇の充足度を高めるためには、グループ共通の要因があるとともにグループに特徴的な関心事、関連事項が存在するのではないかとの示唆が得られた。
最後に
以上、人により余暇のイメージが異なり、余暇に対する考え方や行動に関して意味のあるグループ分けができ、そのグループごとに余暇満足度を高める要因は異なる。このような問題意識(仮説)をもとに、データを用いてその検証を試みた。ある程度は仮説を肯定する結果が得られたのではないかと考えている。
それをもとにした拙稿の提案は以下の通りである。余暇の持つ潜在的可能性を活性化することが、生活者ひいては社会のウェルビーイング(よい生き方)を向上させることにつながり、その余地は十分にある。なぜなら、今まで余暇に対する深い洞察が試みられてきたとは言えず、そのイメージや生活者ごとの構造、その活性化がウェルビーイングにつながるルート(パス、行程)が明らかにされていないからである。
今後、余暇というものをもっとダイナミックな存在「本暇」ととらえることで、より効果的な時間活用につなげることができるのではないか。これが今回の考察を通じて得た結論である。