栗本 智代
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2015年07月01日 |
栗本 智代
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都市・コミュニティ |
地域活性化 |
情報誌CEL (Vol.110) |
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関西の豊穣な歴史や文化、まちのエピソードや将来の可能性などを、語りと音楽、映像をまじえた独自の手法で、楽しくわかりやすく伝えていく「語りべシアター」。今日までの経緯や今後の展望について、紹介する。
地域の魅力発信と新たな担い手の育成
旗揚げは「なにわ」から
語りべになって、大阪の歴史や文化を掘り起こしてみませんか―。こんな呼びかけで、「なにわの語りべ」公演を始めたのは、1994年5月。場所は、大阪市天王寺区の生花卸売市場跡の仮設小屋「一心寺シアター」。約250名の観客が詰めかけた。
大阪には、ユニークな歴史や文化的な話がたくさんあるのに、あまりに知られていない。大正期に船場に代々続く老舗の旦那衆が本宅を他の地域に移し、さらに戦後から高度成長期にかけては、他のまちから出稼ぎ人が流入してきたからである。また、合理性を求め過ぎるが故、長年培われてきた地域文化への価値認識が弱まり、伝承力が失われてしまった。
一方で、研究者や自治体などにより、さまざまな調査や記録がまとめられている。これらを繙き、「今生きている人が共感を覚えるようなまち物語として、まずは地元の方に知ってもらい、面白い話が語れる大阪人を増やしていこう」と考えたのが、大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所所長(当時)の倉光弘己氏で、初回の公演に向けて、筆者はひとつの作品づくりを任された。
そのタイトルは「曽根崎心中考」。まだパソコンが浸透していない時代、スライド映写に講談調の語りを、という倉光氏の提案であった。が、「栗本さんの思う通り自由にやってもいいよ」と言われ、それならばと、音楽と歌を入れドラマチックな演出を実験的に試みると、満場の拍手喝采をもらった。それが今日の活動の原点となっている。
活動の趣旨と手法
活動の趣旨は、第1に、まちの歩みやエピソードを紹介しつつ、今ここにいる私たちとのつながりを意識して、現在そして未来への地域発展の可能性や願いをこめたメッセージとして伝えること。第2に、そんな語り手を地元に増やすこと。そして第3は、まちの歴史的文化的資源を活用し地域が元気になる方法として、ひとつの地域にとどまらず関西ひいては他の地域にも応用できる雛型とすることである。手法としては、語りと映像、そして音楽(生演奏)のコラボレーションを基本形式とし、主題によって演出を加える。歴史に興味のない人も、楽しみながら聞いてもらいたいと考えた。