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情報誌CEL

有坂 道子

2017年10月31日

木村蒹葭堂のネットワークにみる知の交流

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2017年10月31日

有坂 道子

都市・コミュニティ
住まい・生活

コミュニティ・デザイン
ライフスタイル

情報誌CEL (Vol.117)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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近世大坂が生んだ稀代の文人・町人学者として知られる木村蒹葭堂。
幼少期から絵画、詩文、本草学を学ぶ傍ら、長じて書画骨董を広く収集。
その膨大なコレクションは全国に知られ、閲覧・情報交換のために訪れる人びととの交友範囲は多岐にわたった。
江戸期大坂を中心に、一大サロンと文人ネットワークを築いた蒹葭堂の足跡を辿り、いま学ぶべき知の交流のあり方を探る。

はじめに

18世紀後半、「大坂を通る者で彼のことを知らない者はいない」といわれるほど、世に名前の通った風流好事の博物家がいた。北堀江の造り酒屋の主人、木村蒹葭堂である。蒹葭堂は博学多芸な文人で、本草・博物家、画家として知られるのみならず、書籍をはじめとするモノの収集と、際だって幅広い人脈を築き上げた人物として有名である。
彼は自筆日記を残していて、その日に会った人名を書き付けるシンプルな人名簿式日記であるが、現存する19年余分の日記には、約8500名、のべ4万人近い人名が記されている。多い時には一日に20人以上と会うこともあるような、積極的な交際である。
日記からうかがえる交遊範囲は、北は松前から南は薩摩種子島にいたるほぼ全国にわたっており、文人・知識人はもちろんのこと、大名や藩士、中国の画人・僧、オランダ商館長・商館医、朝鮮通信使まで含まれている。現代ではなかば忘れられてしまっている蒹葭堂であるが、日記が示す交流の痕跡は、蒹葭堂が当時の大坂において人的ネットワークの中心にいたことを示唆してくれる。蒹葭堂はなぜこれほど多くの人と関わりを持ったのだろうか。そしてまた、どのような交流を結んでいたのだろうか。
彼の生涯を追うと、単なる興味本位の物好きではなく、学者からも一目置かれる存在であったことがみえてくる。蒹葭堂という人物のあり方を通して、18世紀後半の知の交流について考えてみたい。

I 蒹葭堂と学芸

●町人蒹葭堂

はじめに、大坂の町に住む町人としての蒹葭堂を紹介しておきたい。
蒹葭堂は、元文元(1736)年、北堀江5丁目で酒造業を営む坪井屋に生まれた。時は8代将軍徳川吉宗の時代である。通称は吉右衛門、字は世粛、号は巽斎、自宅の居室につけた蒹葭堂の堂号で知られている。現在、大阪市立中央図書館の南東角に「蒹葭堂邸跡」の石碑が建つが、旧宅は正確にはそこよりも西へ100メートルほど行ったところにあった。
造り酒屋坪井屋の主人として、町年寄を20年あまりつとめたが、54歳の時に支配人に任せていた造酒が生産制限を超えたとしてとがめを受け、酒造道具を没収され町年寄の職を解かれてしまう。
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