情報誌CEL
増殖しつづける神戸
作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
2018年03月01日
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玉岡 かおる |
都市・コミュニティ
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都市居住
まちづくり
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情報誌CEL
(Vol.118) |
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今年の初詣は、神戸の生田神社に出掛けた。
例年たいへんな人出で、参道近くは交通規制で車は通れず、人も押すな押すなの大混雑。長くここに住んでいればそんなことは百も承知だから、元旦に神社に近づくことは極力避けてきたのだけれど……。
「せっかく神戸に帰ってきたんだから神戸らしいところにお参りしようよ」
長女一家が東京から帰ってきており、ぜひとも生田さんに行きたいと言うのである。そう、神戸は生田神社からすべてが始まった。その字のとおり、生田の神様を崇敬する民が戸を構えたから神戸という。私と夫も、結婚式を生田神社で挙げた"戸"の一組といえる。
長女とその夫、それにおととし生まれた赤ちゃんと。1歳になりヨチヨチ歩き始めているから、ここの神様に初お目見えで家内安全を祈願するにはいい機会にちがいない。
雑踏にも怯まない若夫婦に押し切られ、家族みんなで参道へ。たしかに、駅周辺の混雑に文句を言うのは筋違いだ。もともと神様がいた場所に、人が勝手に集まり町を作り、人に便利なように電車を引いたりビルを建てたりしてきたにすぎないのだ。
それは古代の地図を見れば一目瞭然。埋め立て地などない神戸のエリアは、六甲山が海辺まで迫り、ほとんど平地がないのが見てとれる。おかげで耕作や居住には向かず、人間が生活する場として拓けなかった。せいぜい沿岸で魚や海藻をとる漁民がほそぼそ暮らしていた、というのが現実だろう。
ただ、神様が降臨する高い山だけは東西に延び、沖を行く舟の目印となったり航海の安全を祈る対象となっていた。人が住めないかわりに神が住んだ、それが神戸だったのだ。
雨が降れば頂上から一気に急流が注ぎ生田川があふれてしまうので、わずかな平地も水浸しになる。なんと、生田神社ももともと六甲の砂山という高いところにあったのを、洪水で流され今の場所に鎮座したそうだ。ついでにその洪水の折、境内の松の木はことごとく流されたため、今の位置に落ち着いてからは松は植えず、能舞台の鏡板にすら松を描かず流されにくい杉の絵にしたというほどだ。人々は、自然の猛威を恐れ神を敬い、長く神戸をそっとしてきたのである。
さてこんな、災害が多くて人の住めない土地が、一躍、今日のような人口150万を擁する政令指定都市に発展するまでになったのは、ちょうど150年前の歴史的できごとに起因する。国策でこの寒村を国際港として開くことになり、神様の地を揺るがせたのだ。