情報誌CEL
未来を夢見る東京、過去に固執する大阪
作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
2019年03月01日
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池永 寛明
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都市・コミュニティ
住まい・生活
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コミュニティ・デザイン
地域活性化
ライフスタイル
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情報誌CEL
(Vol.121) |
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人々の活動量が減っている。情報技術の進展で時代速度が加速するのに対して、少子高齢化とIT依存が高まることで人々の動きが鈍り、都市・地域の停滞を感じる。
人が動いて仕事をすると、熱が発生する。ひとりの動きが誰かを刺激し、その人も動きだし、場における熱が広がる。あたかもブラウン運動のように、次々と反響しあってエネルギーを生み出す。しかし人の動きがとまると、場は冷えてしまう。
失われた20年から、さらに日本は10年を失う。東京は「前へ前へ。進歩を成長を」を標榜して夢を見て、未来に依存する。一方、大阪は秀吉、天下の台所、北前船、大大阪、1970年大阪万博など過去の「栄光」にこだわる。「これから必ずこうなる」と未来を志向する東京、「これまでこれでうまくいった」と過去に依存する大阪はともに現状を直視しない。過去、現在、未来の時間軸が繋がらない。
「ルネッセ(再起動)」を立ちあげた課題認識はここにある。過去から現在の流れを見つめ、現状における「変化」を読み解くと、未来が見える。未来は現在に埋めこまれているが、現状が掴めないので未来が見えない。
「ルネッセ」の対話のなかで、「文化」という言葉がよく出てくるが、それぞれが考える「文化」の定義はまちまちである。本来、文化とはカルチベイト(cultivate)が語源で、耕作、栽培、洗練、醸成を意味する。文化は承継して繰り返すことで生まれる。ひとりの天才や、すぐれた技術者、アーティスト、ミュージシャンが現れても、突然イノベーションは起きない。イノベーションが成立するには、新たな技術、サービス、ビジネスモデルを考えて実行できるイノベーターと、それを理解し受け入れて応援する人たちがいて、文化が育っていなければならない。それが土壌であり風土である。新たなモノ、コト、姿、ナレッジを柔軟かつスピーディーに受け入れ、混じりあわせるという土壌と考動様式というスタイルをもった都市が、イノベーションを生み、文化を育む。いま何が起こっているのかを掴み、本質を発掘・再編集・再定義して再起動させれば、必ずや日本は再興しうる。