池永 寛明
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2019年07月01日 |
池永 寛明
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都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.122) |
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開催を6年後に控えた2025年大阪・関西万博。1970年の大阪万博から55年ぶりの開催となる万博をどう考えていくのか。「万博は半年間だけの瞬間風速的イベントではなく、100年先を見据え、綿密に練られた『都市・産業・文化戦略』として考えるべき」と話すのは、池永寛明大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所顧問。今号より本誌でも万博について多角的に考察していきたい。
万博は記憶でつながっている
――議論の出発点
2025 年大阪・関西万博を考えるにあたり、これまで1970 年に大阪で行われた日本万国博覧会(以下、70年万博)についていろいろな場で議論をしてきましたが、70年万博を過去の遺物と捉えノスタルジーで語る気運があることや、70年万博を実際に経験した人と、していない人との間にギャップがあり、それを埋めるものは何だろうという視点で考えていました。ところが、本誌121号にご登場いただいた大阪発のアート集団COSMIC LAB代表の三浦泰や す理みちさんの言葉をきっかけに、意識が大きく変わりました。
三浦さんは70年万博後に生まれた、「70年万博を経験していない世代」です。その彼が娯楽施設「味園ユニバースビル」に活動拠点を置く理由が、「1970年の大阪万博の頃の空気感のなかで仕事をしたかったから」。そして「大阪万博の時代につくられたものには、外に向かって開かれた独特の感覚があり、このビルにもそういったエネルギーを感じ、それまで日本で感じていた壁をとっぱらった表現が、ここでなら可能になるという印象を受けた」というのです。これには非常に衝撃を覚えました。レガシーというか、70年万博とはそういうものだったのか、と。
当時生まれていない三浦さんにも、万博は語り継がれている。たとえばお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんが話しているのを聴いて、その当時の"熱"を記憶している。実体験の有無とは別に記憶でつながっている――そう考えていくなかで、70年万博以前からの「時間の流れ・変化」をもっと大事にすべきなのではないか、と思うようになりました。