赤坂 憲雄
2019年11月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2019年11月01日 |
赤坂 憲雄 |
都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.123) |
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地域・コミュニティをつなぐ存在として、今あらためて「よそ者」の力が注目を集めている。
が、ひと口に「よそ者」といっても、そのあり方はじつに多様で捉えどころがない。
ウチとソトを自在に行き来し、人と人の新たな結びつきを生み出す、「よそ者」の役割とは何か?
民俗学者として早くからその存在に注目、その後は独自の「東北学」を通じて、異人・境界・排除などの概念をアクチュアルな視点から問い直してきた赤坂憲雄さんに、うつり変わる「よそ者」観、それがこれからの日本にもたらすものについてお話を伺った。
「ウチとソト」に引き裂かれた自己を見つめて
『異人論序説』(1985年)を書いた1980年代半ば、私はちょうど30歳くらいでした。民俗学や国文学、宗教学や社会学、現代思想などさまざまなテクストのなかに「ウチとソト」 「秩序と混沌」 「清浄と不浄」「自己と他者」といった二元論を見出し、その境界や交わりに豊かな物語を発見しようとしたこの本は私にとって、さまざまな意味で出発点となりました。
私のなかには若い感覚として、自分が生きていることの窮屈さとか居心地の悪さがあり、それを解きほぐしてみたかった。自分は「よそ者」(ストレンジャー)ではないか?という違和感。『異人論序説』のなかで繰り返し描いた、両義的な、「ウチとソト」に引き裂かれた存在としての「異人」には、そういう自分の不安定さが投影されていたと思います。
続編として『排除の現象学』(1986年)を書いたときにも、同じような感覚が色濃くありました。私の暮らしていた武蔵野は都市化の進む東京のウチとソトが接する境界として、「三億円事件」(68年)や「イエスの方舟事件」(79〜80年)など特異な事件の現場にもなりました。この本のなかでは、新聞をにぎわすそうした社会問題の輪郭を描きながら、「排除の論理」を強めるコミュニティのあり方、それに追い詰められた異人たちのあり方を、さまざまな角度から考察しています。
たとえば、埼玉県の国有林に建設計画が進められていた自閉症者のための施設に、隣接するニュータウンの住民から反対運動が起きたという事件を取り上げました。現代にも通じる、先駆的な事例です。