田中 雅人
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2019年11月01日 |
田中 雅人
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都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.123) |
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「よそ行きの服」、「よその家」、「よそよそしい」......。
「よそ=余所・他所」とは「自分の属している家庭や団体以外のところ。自分とは関係のない所、人、物」のことで、この「よそ」という言葉を聞くと、ネガティブな印象を受ける方がおられるかもしれないが、これからの日本のまちづくりにとって、「よそ者」は地域と時間をつなぐ役割をもつ者として、その活躍が大いに期待されている。
「よそ者」が活躍する例として、シンガポールをご紹介したい。
1965年に、マレーシアから追放される形で独立を余儀なくされた小国は、インドネシアなど近隣の列強から身を守ることに加えて、資源のない国土での発展をはかるため、関税なしの自由貿易の推進など、徹底した外国企業の受け入れをはかった。
国土面積が東京都23区と大差はなく、人口が600万人弱にもかかわらず、世界競争力ランキングでは第1位[*]という地位を築くまでに成長した主因は、外国人・企業という「よそ者」の受容度の大きさだと思う。
日本も明治維新において、鎖国をやめ、西洋文化=「よそ者」の受け入れを積極的にはかったことにより、列強に名を連ねるようになった歴史がある。つまり、「よそ者」を受け入れる時、国や地域が大きく発展するように思う。
では、なぜ、「よそ者」を受け入れ、彼らが闊歩する時、発展するのか。「よそ者」は、余所の世界も知るため「ウチ」と「ソト」の両方の視点・観点を有しており思考がダイバーシティに富むこと、「ウチ」に存在するつまらぬ慣習などに縛られないこと、そしてハングリーさを持ち合わせていることがその理由なのだろう。
人口減少がいよいよ社会の大きな課題となる、これからの日本にとって、「よそ者」の受容度をどこまで引き上げられるか、また受け入れた「よそ者」と地元民がコラボレーションすることで、いかにハイレベルなパフォーマンスを発揮できるかが、この国の将来を左右する大きなファクターになるのではないだろうか。
* 世界経済フォーラム(WEF)2019年発表