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情報誌CEL

湯澤 規子

2020年11月01日

大阪の胃袋 第1回 「飴ちゃんおばちゃん」考 − コロナ禍中のあそびと余白

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2020年11月01日

湯澤 規子

都市・コミュニティ
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情報誌CEL (Vol.126)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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咳とのど飴

2020年1月頃、東京の都心から郊外の自宅へ帰る電車内での出来事。座った席の前に立つ女性が咳き込んでいたので、私はバッグの中に手を入れ、のど飴を取ろうとした。もちろん彼女に手渡すためである。しかし、一瞬躊躇した後、私はバッグに入れた手を引っ込めた。見知らぬ人から差し出された飴を彼女は不審に思うかもしれない。いや、この飴は咳をするなというメッセージなのかと不穏な空気が流れるかもしれない。そんなことを考えているうちに、飴を手渡そうとする気持ちがしぼんでしまった。
それから状況は急変した。コロナウイルス感染拡大と防止対策の波に世間が飲み込まれてからというもの、電車で咳き込む人をついぞ見たことがない。また、偶然居合わせた他人に食べものを手渡すこと自体も難しくなり、それは私たちが遠い昔に忘れてしまった行為のようにさえ感じられる状況になった。

飴ちゃんあげよか

「飴」と呼ばれるその一粒を大阪の人は「飴ちゃん」と呼び、他人に配ることがよくある、というのは都市伝説ではない。実際、大阪生まれの私は子どもの頃に電車の中でたまたま隣に座ったおばちゃんに飴ちゃんをもらったことがあるし、「大阪のおばちゃん」風情が板についている母や祖母はいつも「飴ちゃん袋」を携行していて、その中には黄金糖や黒飴がみっしりと入っている。乗り物に乗った時の会話は「飴ちゃんあげよか」から始まるのが常だった。ちなみに菓子製造業の視点から見ると、大阪はUHA味覚糖、ノーベル製菓、扇雀飴本舗、パイン、豊下製菓など多くの有名飴専業メーカーの集積地でもある。だからという訳ではないのかもしれないが、とにかく大阪のおばちゃんはいつも飴ちゃんを持ち歩いている。ところで、「飴ちゃん」とはいったい何なのだろう。
あらためて考えてみると、それは会話や場の緊張感を緩める「あそび」と「余白」の妙だと思うのである。予定調和の会話の流れにポンと小石を投げ入れたような、心地良い波紋と言ったらよいだろうか。それで場の緊張感はぐらりと揺らぎ、あらぬ方向から心に風が入ってくる。「あげよか」と差し出されるのが飴一粒であるということも重要なポイントだ。断るほど大げさではなく、手渡しても邪魔にはならず、何と言っても見た目がかわいい。そしてダメ押しとして、飴に「ちゃん」がついている愛嬌。
こうした飴ちゃんコミュニケーションが織りなす世界は、親しい間柄だけでなく、たまたまその場に居合わせた一期一会の人びとをも巻き込んで、偶然性に満ちた不確実な世の中を楽しんでいるようでさえある。

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