下村 純一
2009年07月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2009年07月01日 |
下村 純一 |
都市・コミュニティ |
地域活性化 |
情報誌CEL (Vol.89) |
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新大阪駅からタクシーに乗り込んだ。「今は使われていない施設ですが、毛馬の洗堰と閘門まで」と言うと、ドライバーは一瞬戸惑う感じだった。あわてて本を取りだして説明を加えた。「それやったら、あの辺りかな。確か何かありましたわ、ほな」とマイナス気分なやり取りがあったものの、目指す毛馬の閘門には、ものの15分足らずで着いた。
都市の近代化の礎を築いた土木建造物を取材するのは、初めてである。土木では、難しい漢字が、まま使われる。洗堰は取水用の施設、閘門は運河の水位を調整し、船を導き入れる扉のことだという。はじめは読み方もわからない言葉だった。明治の先人たちが、次々に渡来する西洋技術に対して訳語として当てたゆえの難解な熟語の多さだろう。
そんな未知との遭遇への不安感は、保存された運河を目にしたとたん吹き飛んだ。重厚、堅牢、長大。土木建造物を形容するふつうの言葉だけでなく、所によっては柔らかみや優しさという言葉が浮かぶつくりだ。新淀川を開削しつつ、街の動脈である旧淀川(大川)の船の往来を保持しようとする、いわば弁の役としての申し分のない造形に見えた。気が付けば、もう社会科見学に来た小学生のノリで、今となっては小振りな運河を喜々として観察して回り、シャッターを押しまくる自分がいた。
保存の仕方が素敵だ。川底に近いレベルで下を歩けるのである。船上の目線で運河を眺めてみる。端整に積まれたレンガ壁のあちこちに草が生え、過ぎ去った百年の推積を物語る。おかしな鉄輪と鉄鎖が付いている。深い所では三段構えだ。「係船環」と呼ぶ、閘門の操作で水位が安定するまで船をつなぎ留め置く金具であった。巨大な鉄扉の先端には、大黒柱ほどに太く厚い木が付けてある。万が一、船が接触した時のクッションだろうか、土木施設ならではの気遣いのディテールに違いないと、直ちにレンズを向ける。