鈴木 毅
2009年03月19日作成年月日 |
執筆者名 |
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2009年03月19日 |
鈴木 毅 |
住まい・生活 |
住宅 |
情報誌CEL (Vol.88) |
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街角広場の掲示板と主
「ひがしまち街角広場」の赤井直さんの一日は掲示物の整理から始まる。終了した行事や案内のチラシをはがし、レイアウトを微調整する。新しく届いたポスターがあれば、内容を見て壁を眺め、幾つかのチラシを移動してバランスよく貼り付ける。必要があれば古くなった掲示を作り直したり、自分でメッセージを書いて加えたりすることもある。
簡単な作業のように見えるが、街角広場の掲示を見ていると、新千里東町と千里ニュータウンの市民活動の今がわかる。千里の町が生きていること、変化していることがわかる。のみならず、何度か訪問するうちに、日々この掲示板を目配りし整えている人がいることに気づく。この場所には主というべき人がいることをはっきり感じるのである。
簡単な作業のように見えるが、こうしたメンテナンスができてない掲示板は多い。とうに期限の過ぎたポスターが残っている掲示板、いつになっても新しい掲示物が増えない掲示板、色あせて破れかけた注意書きがいつまでも交換されない掲示板などなど。
これらは情報源として役に立たないだけでなく、そのスペースを見守っている人がいないことを浮き彫りにする。責任者・管理者の存在や意思を感じられないこうした掲示板は、周囲に殺伐感、無力感、不安感を漂わせ、犯罪の遠因にもなる。
千里ニュータウンの課題は、街角広場の掲示に対する赤井さんのような役割を、今後誰が担当するのかということである。
かつてその役割は間違いなく大阪府が担ってきた。
千里の開発記録映画「ひらけゆく千里丘陵」など当時の資料を見ると、開発者としての誇りと並々ならぬ自信を読み取れる。実際、千里ニュータウンはそれに値するプロジェクトであった。この誇りはどこにいったのだろう。