秋元 孝夫
2009年03月19日作成年月日 |
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2009年03月19日 |
秋元 孝夫 |
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情報誌CEL (Vol.88) |
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多摩ニュータウンにある団地は多様であり、居住者の立場も異なるため、一様には?団地再生“という議論に?住まう側“の意見が反映できないという背景がある。とりわけ公的賃貸住宅団地においては、その傾向が強い。東京都が管理する都営団地(公営住宅)、UR都市機構(公団賃貸)の賃貸団地、それに東京都住宅供給公社(都公社)の賃貸団地が新住宅市街地開発法の下で整備されてきた。これらの公的賃貸住宅の居住者は、自ら居住する団地の問題に対して発言しにくい状況がある。意見を出すとすれば”家賃値上げ反対“の運動か”住戸内のトラブル“の報告で、居住の仕組みそのものに改善を求めることには至らないのが常である。一方、分譲団地では管理組合が形成され、建替や改善に自主的な団地管理を通じて自らの意見を出すことも多くなる。
こうした多様な多摩ニュータウンであるが、開発初期の一時期に集中的に供給された地区がある。10haを超える大規模区画に50m2前後の小面積住戸が大量供給された。それが起因となり“団地再生“が緊急課題の団地群として国も地域も認めている多摩市諏訪・永山地区である。すでに分譲団地では、優良建築物整備事業として国の支援を受けて建替事業を推進させており、住まい手が責任を持って全面建替を進めている。しかし、賃貸住宅団地では、”住まう側“からの意見は無く、”団地再生“すべき地区であるにもかかわらず、その展開は見えない。
諏訪・永山地区の現実
言うまでもなく戦後の大都市集中に対する住宅不足解消を目的として開発することになった多摩ニュータウンである。開発初期から大量供給を前提として膨大な住宅を集中して供給することから始まった。時代は1973(昭和48)年のオイルショック前、計画面積
30km2の内、1km2余りの地区に大量の住宅を供給した。それが諏訪・永山地区に象徴的に出現している高齢化と老朽化の温床である。
一時期に集中して供給された集合住宅は、オイルショックまでの3年間に約8千500戸余りが供給され、その内の約4分の3が諏訪・永山地区に建設された。住戸規模は30m2台から50m2台と小規模であり、間取りも現代の家族が住むには機能的にも不十分である。
このように供給されたストックは画一的で、多様な世帯を受け入れることができないが、実態としては家賃の安さが求められ、単身の高齢者が集中してしまう構図となっている。とりわけ高齢者にとっては、都営住宅は魅力的で、エレベーターが増設されている住棟では生涯居住が可能な住まいとして重宝がられる結果となっている。住戸は狭くても低家賃で住み続けることが可能なので、必然的に高齢者が集中する。実態としても多摩市の中で諏訪・永山には単身高齢者が集積しており、こうした状況を問題視する意見は“住まう側“からは顕在化しない。