中村 靖彦
2008年06月30日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2008年06月30日 |
中村 靖彦 |
住まい・生活 |
消費生活 |
情報誌CEL (Vol.85) |
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福田総理が消費者庁を新しく設けることに意欲的だと言う。結構だと思いますよ。とりわけ食の安全・安心に関して、消費者の信頼感を損ねる事件が頻発しているので、一元的に取り仕切る行政機関が必要だとの思い、よく分かりますし、異議を差し挟むつもりはありません。
ただですね、このところの食品産業の不祥事、加工から外食までのさまざまな事件を見ていて、私には消費者庁以前の問題じゃないかとの気持ちが強くある。あるいは、これが安全・安心問題の核心なのかもしれないとさえ思う。そのことをここに書きます。
何故、不祥事が続くのか。ここ数年、私の頭を常に離れなかった疑問である。不正が明るみに出ると、メディアはこぞって取材に殺到し、活字や映像で報道する。新聞やテレビで、その事件が連日伝えられているのに、それでも不祥事が後を絶たない。”ウチの会社は大丈夫か、後ろ指を指されるようなことはしていないだろうな“などという内部の点検はないのだろうか。”ないのだろうな、多分“と私は、そのことを不思議に思っていた。
何故なのか、自分で考え、人にも聞いてみた。しかし、分からなかった。ところがこの頃、ようやくそのヒントみたいなものを日本人の社会行動から感じることができた。食と直接関係ない日本人の日常からの感触である。
電車に乗る。”優先席付近では携帯電話の電源をお切り下さい。それ以外の場所ではマナーモードに設定して通話はご遠慮下さい“。このような音声によるメッセージが流れる。こんな虚しいメッセージはありません。お年寄りなどの優先席には、若者がドンと腰を下ろして携帯のメールの文章を作っている。電車のドアが開いた時に、若者が我先に座席に向かう理由が、この頃、私に分かってきた。メールの文章を作るのに、立っているよりは座っている方が便利だからである。