鷲田 清一
2007年09月30日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
2007年09月30日 |
鷲田 清一 |
住まい・生活 |
ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.82) |
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
「持続可能な社会」とは何を意味しているのか
持続可能性という時に「何を持続させるのか」という根本的な問題が大切だと思っています。「何を持続させるのか」、その選択の問題を抜きにして、ただ人間の生活が持続すればいいというわけではないからです。これは哲学的にすごく難しい問題でもあります。何を持続させようとするのかは、何を選ぶのかについての哲学(philosophy)が背景にあるはずだからです。ですから、CELが持続可能性と言う時、何を持続させようとしているのかということ、一番気にかかりました。
生物が、この地球上に生き続けていく中で、人類が幸せに生存していける条件とは何か。人間にはさまざまな欲求や欲望があり、それをどんどん増殖させてきましたが、それを無限に受け入れる生存環境はありません。ですから、意味としては「どこで折り合いをつけるのか」ということではないかと漠然と考えていました。
しかし、もしそうならば、「生存」という言葉一つとっても難しい問題だと言えます。たとえば、医療において長生きすることが本当にいいのかどうか。「Quality of Life」と言われるように、ただただ生存し続けることがいいとはなかなか言えません。だから一体、誰にとっての、どういう生存の形を維持していくのか、保全していくのかという問題が根底にあると思います。その時に「幸福な生活」をえると、根本的な問題である「人にとっての幸福って何なのか?」というところに行き着いてしまいます。「本人が満足だと感じれば、それが幸福なんだろう」という答えもあるかもしれません。
けれどももっと根本的に考えだしますと、そもそも「欲望」とは何かという問題に突き当たります。ニーズがだんだん増えてきて、そして不満足も出てきて、これだけ多くのものを満たさないと満足にならない、というのが現実です。そういう意味で「欲望というのは無限に拡張するものだ」という考え方は、あまり重要視しない方がいいと思います。現実の世界では、欲望というのは膨らまされているという面もあって、「本当に私たちは無限に欲望を膨らますことを望んでいるんだろうか?」という問題があるからです。特に高度成長期を過ぎて高度消費社会になってからの人間の欲望のあり方は、むしろある種、市場原理と絡んで無限に拡張すべく誘導させられてきたという面があります。たとえば、自動車なら、動く間は、ずっと乗り続けていればいいものを、実際には、まだまだこれからという段階でメーカーがモデルチェンジしますと、急に自分の自動車が色褪せて見えて「あれ、素敵だな。欲しいな」と思ってしまいます。