西村 一朗
2006年06月25日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2006年06月25日 |
西村 一朗 |
住まい・生活 |
住生活 |
情報誌CEL (Vol.77) |
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はじめに
社会状況の変化として「会社人間」から「居住地人間」へ、ということを、まずあげてみたい。いわゆる「団塊の世代」が六〇歳の定年を迎える来年度(二〇〇七年度)から、「会社人間」から「居住地人間」になる人々がどっと増えてくる。私自身も、昨年度、定年退職だった。たまたま再就職したが、「居住地人間」の気分でもある。私は一〇数年前の五〇歳頃から「居住地人間」という言葉を「会社人間」に対置してきた。「会社人間」というのは、会社、官庁、学校、病院等の「働き場」に時間的に縛られている人々という意味で、彼らは逆に居住地で過ごす時間が極めて少ないのである。これから高齢化がさらに進んでいくと、「居住地人間」が全体としても増えてくる。また、「会社人間」であっても、労働時間の短縮等によって、「居住地人間」要素も増えてくると考えられよう。
「会社人間」は、一般に居住地の様子がよく分からない人々である。私は、定年になって「会社人間」から「居住地人間」に「激突」すると大変なので、一〇年ほど前の五〇歳頃から「軟着陸」を狙って徐々に「会社人間」から「居住地人間」へ近づく努力を意識的にする必要がある、と言ってきた。本稿では、そういう人々も念頭におきながら、「地域居住」について、改めて「つながりの豊かさ」を求めていく視点の大切さや具体的事例を述べてみたい。