河瀬 隆
2005年12月25日作成年月日 |
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2005年12月25日 |
河瀬 隆 |
住まい・生活 |
その他 |
情報誌CEL (Vol.75) |
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そのうち剪定しようと思いながら伸び放題になっていた庭先のモミジの木に、キジバトの巣を発見した。枝が分岐したほんの僅かなスペースに巧みに小枝を寄せ集め、大人の掌ひとつ半ぐらいの大きさの巣が作られていた。気づいた時には、親鳥がじっと抱卵していたのだ。
「こんなに人間に近いところで、野生の鳥がよく巣を作ったもんだ」と驚いた。が、考えてみると、玄関先の鳥カゴの中では、二羽のセキセイインコが一日中賑やかに囀っているし、飼い犬はすぐ下で呑気に昼寝をしている。「それで案外、我が家を外界の脅威のない平和な場所と思ってくれたのかな」と思うと、何ともいとおしく、「巣立ちまでしっかり見守ってやろう」と、家族で誓い合ったのである。翌日から、筆者の帰宅後の第一声は、「トリさん、今日どうやった?」。そのあと、家族揃って「キジバト談議」に花を咲かせた。
雛の誕生を確認したのは、それから二週間ぐらい経ってからだった。巣を覗き込むと親鳥の脇に産毛だらけの二つの塊がゴソゴソしていた。その後、雛の成長は早く、日に日に鳥らしくなっていく。そのうち昼間は、段々と親鳥が巣から離れることも多くなり、ちょっと心配になるが、夜にはちゃんと戻っていて、狭い巣の中で身を寄せ合っている。「親子三羽、小さな巣では窮屈やろねえ」と話していると、ほどなく親鳥は夜になっても戻らなくなってしまった。まるで巣の大きさが「親離れ」の時期を決めていたようで、自然の摂理に驚嘆する。こんなふうに着々と「巣立ち」の準備がなされていくのだ。しかし親鳥は決して雛を見捨てない。毎朝、決まった時間になると餌を与えに戻ってくる。「デーデー、ポ、ポ」と伸びやかな鳴き声が聞こえると、それまで耐えるようにじっとしていた雛たちはたちまち落ち着きをなくし、親鳥との濃密な時間が始まる。
そして、ついに雛たちの「巣立ち」の時が来た。幸運にも筆者はその日休みで、その一部始終を目撃できたのである。それはまるでキジバト親子からのプレゼントみたいだった。
その朝も「デーデー、ポ、ポ」という鳴き声がして親鳥が戻ってきた。巣で待つ雛にひとしきり餌を与えた後、親鳥は近くの電線へ移動。だが、いつもと様子が違う。何かを促すように、いつまでも「デーデー、ポ、ポ」と鳴き続けているのだ。すると突然、一羽の雛がゴソゴソしはじめた。と思うと、周囲の枝を動き回り、今にも飛び出しそうな気配になってきたのである。が、そこから長い逡巡が始まった。なかなか最後のひと決心がつかない。躊躇する雛、それをじっと見守る親。何とも言えぬ鳥たちの緊張感が伝わってくる。と、次の瞬間だった。ついに向かいの家の方へ一直線に飛び出していったのである。「あっ、お向かいには放し飼いの犬がいる 」――その後、その雛のことも、取り残された雛のことも気になって仕方がなかった。ようやく昼過ぎになって、親鳥の鳴き声に慌てて外に出てみると、先ほど飛び出していった雛は無事モミジの木に戻っていて、ひと安心。もう片方の雛も、今朝は枝をヨチヨチしていただけなのに、親鳥の鳴き声に合わせて、ついに電線に飛び移り、いつも以上に嬉々として餌をもらいはじめたのである。
その数日後、とうとうこのキジバト一家は何処かへ行ってしまった。しかし今でも通勤途上で「デーデー、ポ、ポ」と聞こえると、はっとして空を仰ぎ見る。思い返せば、一メートル程のところまで親鳥に接近したことがあった。その時見た、全く動ずることなく凛とした目。電線の上から雛の巣立ちを励ます姿。勇気を出してそれに従った雛たちの様子……。このひと月間、キジバト親子が展開してくれた「抱卵」から「巣立ち」までの自然の営みの中に、普段、忘れてしまっていた何か、かけがえのない「生」へのドラマ、心温まる「家族」の情景を見たような気がした。そして我が家の絆も、少し固くなった。 ――河瀬 隆