福士 正博
2005年06月30日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2005年06月30日 |
福士 正博 |
都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.73) |
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この小論では、環境問題を中心に、持続可能な社会の建設に果たすソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の役割を論じたい。
ソーシャル・キャピタルの可能性
環境問題を解決するには、環境税など外部費用を内部化する方法が有効であるといわれている。確かに環境税を支払いたくなければ、環境に優しい行動をとるほかはない。その意味で、外部不経済の発生を防ぐために、社会的に生じる費用を負担する仕組みを作ることが重要である。しかし、このような施策を政策的に進めても、短期的な効果は上がるかもしれないが、それだけでは諸個人の環境に対する姿勢や態度、生活様式を根本的に変えるのは難しい。環境に負荷をかけても、環境税を支払いさえすればよいという認識にとどまる限り、環境問題の根本的解決にはつながらない。
ソーシャル・キャピタルは、社会全体が負担する費用と個人が負担する費用との乖離を埋めると同時に、環境に負荷をかけた生活様式を反省し、その変更にまでつながる可能性を持っている。公共財としての環境資本(自然資本)は、「囚人のジレンマ」(共有地の悲劇)という難問を本質的に抱え込んでいる。利己的な諸個人が、自己の利益を野放図に追求すれば、人類の共有財産は枯渇してしまい、その結果、個人の発展も損ねてしまう。ソーシャル・キャピタルの現代社会における役割と可能性は、この点を視野に入れる展望を持っていることにある。ここで重要なことは、私たちは今、「再帰的近代の時代に生きている」という自覚を持つことである。再帰的とは、自己の行為の帰結が自己にはね返り、反省を迫ることで自己対決することである。「囚人のジレンマ」を克服するには、諸個人が、自らの行為とその帰結を自省すること、すなわち再帰的個人となることが求められている。