小浦 久子
2005年06月30日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
2005年06月30日 |
小浦 久子 |
都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.73) |
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
都市再生
ロバータ・B・グラッツ
富田靱彦・宮路真知子訳
林泰義監訳 晶文社 一九九三年
都市は集まって〈すむ〉かたちである。〈すむ〉とは、住宅のことではない。都市のなかで時間を過ごす営みのことであり、仕事をすること、学ぶこと、遊ぶこと、創造することなど、多様な営みがあり、それらが都市空間をかたちづくる。
そこには、人と人、人と場所、場所と営みなど、様々な関係が生まれ、それらをつなぐしくみがあり、関係が調整されるところに公共性が現れる。いつも新しい仕事は新しい人と生活スタイルを場所に持ち込み、空間を変える。そこで、あいさつや掃除、道や建物の使い方など、その場所での調整があって、古い人と共有できる公共性が生みだされる。
本来、都市は人と場所と営みの関係のなかでかたちづくられるのであるが、いずれかが衰退していくとき、都市空間の荒廃となって現れてくる。商店街のシャッター街、空室率の高いビル街などもその一つ。開発成長期には、その都市とは全く関係のない主体による不動産市場性のみに依拠するスクラップアンドビルド型の再開発であっても、新たな人や営みを呼び込むことで都市が元気になることがあった。しかしそれは、都市が持続的に生き続けていくために、もはやそれほど意味がないことに気づくときである。