松本 コウシ
2005年03月15日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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媒体(Vol.) |
備考 |
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2005年03月15日 |
松本 コウシ |
都市・コミュニティ |
地域活性化 |
情報誌CEL (Vol.72) |
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時の流れの中に佇む風景
写真と時は、いつも密な関係にあるようです。一瞬を捉える写真は、まさに「時刻」をフィルムに刻むわけですが、時刻から時刻の間をずうっと撮る、夜の長時間露光写真では、そこに時刻だけではなく「時間」が写っているわけです。[ 時間とは全宇宙において一様に流れ、任意の系において時間は共通である ]ニュートンの絶対時間によると数学的、あるいは物理的な時間は、場所や空間を問わず、すべて同じ「時間」が流れているということらしいですが… ほんとうでしょうか。日々いろいろな風景を探していると、私たちがいつも感じている日常の「時」と、あきらかに異なった時が流れている空間に出くわすことがあるのです。騒がしい都会の片隅に忽然と現れるそれらの風景。時間というものが「過去」から「未来」に流れるものだとしたら、これらの風景からは、いつも「過去」しか感じることができないのです。ここには人が感じる「時」より、もっと長いサイクルの時間が流れているからでしょうか、あるいは、私たちのいる空間の「時の流れ」が早すぎるのでしょうか。古代と現代では時間の考え方が違うとされています。今でものどかな風景を目の前にすれば、人は時の流れを忘れて佇んでしまうはず。時間的な観念が存在しなかったと言われる古代では、おそらく「風景」の方が時間を支配していたのではないでしょうか。