陣内 秀信
2004年12月25日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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媒体(Vol.) |
備考 |
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2004年12月25日 |
陣内 秀信 |
都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.71) |
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ヴェネツィアで気がついたこと
私は、大学院の博士課程のころにイタリアに二年間留学し、ヴェネツィアで生活しました。当時から私の研究テーマの一つは都市の歴史研究でしたが、その意味では、ヴェネツィアが有名な「水の都」だからというだけでなく、古い歴史と独自の営みをもっていることも含めて、この都市のあり方全体に私は非常に興味をそそられたのです。
研究と調査を続けながら過ごしたヴェネツィアでの日々。下宿を出ると目の前がまさに運河でした。路地を歩き、橋を越えて隣の島へ行くといったように、自分の行動すべてが運河と橋に結びついていました。車ではなく船で移動する。しかも、道や水路がまるで迷路のようになっている、いわば「迷宮都市」です。そういう都市を毎日身体で体験して、私は「水の都」というものの貴重さやその面白さを実感しました。
同じように、日本の都市について考えてみると、もともとは堀割が巡っていて、それが都市構造の基盤になっていたところは実はたくさんあります。デルタ地帯を形成している河口の都市である大阪はもちろん、東京や新潟も、ある意味では広島などもそうでした。日本では、そういった都市がたくさんありながら、時代の変化に伴って川や堀割というものの比重が軽くなったことで、水辺への関心を人々は失ってしまったといえます。