弘本 由香里
北辻 稔
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2004年12月25日 |
弘本 由香里
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都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.71) |
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対談
川に関わる人を増やすことで、川の復権が実現できる
北辻 稔 Minoru Kitatsuji 月刊「大阪人」編集長
弘本 由香里 Yukari Hiromoto 大阪ガス エネルギー・文化研究所 客員研究員
高度経済成長から成熟社会への移行とともに、環境問題が重さを増し、また一方で「心の豊かさ」や「ゆとり」が求められるようになってきた。こうした動きに呼応して、これまでの生活や環境を見直す動きが顕著になってきている。都市環境も例外ではなく、各地の都市の再生計画において、それぞれのまちが保有する歴史的価値に再び光をあて、時間の連続性を活かしたまちづくりが行われようとしており、その中の一つに「水辺の再生」がある。
もともと日本の都市の多くは沖積平野に形成されていることから、何らかの形で水辺との関わりがあった。特に、大きな川が町の中心部を流れる、大阪や広島、福岡といった大都市は、かつて『水都』と呼ばれ、その再生の動きが顕著である。中でも大阪は、「東洋のベニス」と呼ばれていたほど、生活の中に川や水路が根付いていたが、しかし今では、その面影をうかがうことは、ほとんどできなくなっている。だが、長年に渡って水に親しんできた「大阪人」というアイデンティティに、「水」あるいは「水辺」が関わっていることは間違いない。
現在大阪市では、「水都・大阪」の復権に向けて、様々な取り組みが進められている。そこで、大阪という都市を題材にした月刊誌「大阪人」の編集長である北辻稔氏を招いて、「水」を手がかりに、水都・大阪についてお話をうかがった。
失ってしまった「水辺」の大切さを再認識する
弘本 「水都」と呼ばれる都市は、日本はもとより世界各国でもたくさんあるのですが、それらの中でも大阪は、かつて「東洋のベニス」と言われたほど、まちの中に水路が張り巡らされ、それが生活に密着していた、まさに『水の都』だったわけですが、その痕跡は今では、大川と中之島近辺、道頓堀あたりでしか感じられにくくなっています。しかし、これまでの経済中心の社会から、環境共生や生活の質が重視される現在、失ってしまった「水辺」の大切さが再認識されてきています。「水都・大阪」の復権のために、水の都大阪再生協議会による水の都大阪再生構想「輝け 水の都大阪〜時を感じる水の回廊〜」もつくられ、これに連動する公民の諸団体によって多様な施策が進められています。また、市民発意・地域発意の水都再生に関わる取り組みも盛んになってきました。こうした動きとその背景をどんなふうに捉えていらっしゃいますか。
北辻 高度成長期において経済都市、産業都市だけを追求してきたことへの反省があるのでしょうが、六〇年代から都市の中に木を植えるという行為を通じて、都市に自然を取り戻そうということが、市民の中にも意識されてきた。その結実が九〇年の花博であったと思います。そして、最近の「水都再生」のさまざまな試みも、都市の集客魅力や快適性を高める狙いもありますが、飾りものではない、自然という視点から大阪を見つめ直してみるという動機があるように感じます。その奥に、都市における自然を本質的にとらえる、また都市と自然を共存させるキーワードとして『水の復権』という動きが出てきたという見方ができるのではないかと思います。