嘉田 由紀子
2004年12月25日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2004年12月25日 |
嘉田 由紀子 |
都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.71) |
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水への憧れは文化的に生み出されたもの
私たちは、水や水辺に安らぎや憧れを感じるといいますが、これはある特殊な歴史的条件の中で培われた文化のなせるわざだと思います。たとえば、毎年私が訪問しているアフリカのマラウイ湖では、私が湖畔を『美しい』と思う感覚と、地元でずっとそこに住んでいる人たちの感覚にはある種の『ずれ』があります。
マラウイ湖畔に住む現地の人びとに私は、「こんな素晴らしいところに住めて、羨ましい」と言ってしまうのですが、「この風景は当たり前。蚊も出るし、水害もあるこんなところより都会に住みたい」という返事が多く聞こえてきました。マラウイ湖辺の村で、多くの人たちに聞き取りしましたが、どちらかというと、そこで生まれ育った人でない、外から来た人たちの方が水辺の風景を美しいと表現する傾向にあります。
また日本でも、琵琶湖辺の景観が望める家に住む方でも、「冬は寒いし、台風が来たら風がまともに吹いてくるんで、あまりよいところではない」とおっしゃいます。つまり、そこに住んでいる人たちと、旅人のようなよそ者との間には、風景の評価において大きな『ずれ』があるのではないでしょうか。ただ、そこで生まれ育った人たちも、いざ自分が外に出たりしますと、あらためて自分が生まれ育った地域の風景をなつかしみ、愛でる傾向にあるかもしれません。