竹田 純一
2004年09月30日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2004年09月30日 |
竹田 純一 |
エネルギー・環境 |
環境対応 |
情報誌CEL (Vol.70) |
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三つの原風景
昭和三五年、私は東京都目黒区に生まれました。学校が休みの間は、幸か不幸か家族の都合で、東京都町田市と新潟県下田村の三カ所を行き来していました。作られていく都会の近代施設と壊されてゆく里山の循環、そして、人が減ってゆく山里の三つの風景を見ながら育ちました。
生活環境が整備され便利になってゆくこと、物々交換や自給的な暮らしから、生活資材をすべて購入する消費生活へと日本の社会は大きく変化していきました。
自分が住んでいる地域の外から、日用品から家まで、暮らし自体を買い求めた時代です。このような社会の価値観は、もちろん現金や証券が軸でした。多額の金銭を手にすれば何でも買える、と過信していた時代です。
教育も仕事も規範も、足下の身近な暮らしや自然から生まれたものではなく、外部から購入する仕組みや経済、時間軸から生まれると多くの人々が錯覚していた時代でした。
今森光彦さんとケビンさん
先日、写真家の今森光彦さんの工房を訪ねたとき、今森さんから、昭和三〇年代の琵琶湖の変遷と湖畔の里山の喪失の話をうかがいました。私より五才年上の今森さんは、変化を客観的にとらえ、カメラに写し続けてきました。失われてゆく里山と生き物たちの関係、一つひとつの命を見つめる今森さんのまなざしに、驚きと深い共感を味わいました。アメリカ生まれのケビン・ショートさんも、日本の里山の多様さに魅せられて、かれこれ四半世紀、日本に暮らしています。「里山の神秘は、一生かかっても解明できないジグソーパズルのようだ」という言葉にケビンさんの感動が込められています。思い返してみると、私の町田の原風景にも、たくさんの生き物とジグソーパズルのような不思議な秘密が隠されていました。