松本 コウシ
2004年09月30日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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媒体(Vol.) |
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2004年09月30日 |
松本 コウシ |
都市・コミュニティ |
地域活性化 |
情報誌CEL (Vol.70) |
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記憶の片隅に眠っていた光景
キラキラと眩しく光るサーチライトの下、カメラを担ぎ、新幹線操車場のでこぼこした線路を心細げに歩いていると、若き日のヴィム・ヴェンダースの映画「さすらい」を思い出しました。偶然出会った映画技師と自称小児科医が旅をするロードムービーです。スクリーンに映し出されているのは、モノクロームの退廃的な光景たち。そこには、まるで時間的な観念が存在しないかのようにも思えました。ただひたすら、何気ない風景だけが目の前を無造作に通り過ぎる。でも、この何気ない退廃的な風景こそが、どこか懐かしく、印象的であり、心の渇きを癒してくれるものではないでしょうか。私たちは旅先で、この何気ない風景たちを無意識にさがしているのかもしれません。外国で旅と言えば、広大な大地を自動車で駆けめぐるヒッチハイクを想像しますが、日本では、やはり「鉄道」なのです。電車に乗り、住み慣れた今いる場所から、何処かにある、もうひとつの場所を求めて旅立つ。それは郷愁への旅でもあり、希望を求める何かへの旅でもあるはず。鉄道での旅には、それらの思いを大いに盛り上げてくれる演出が数多く存在します。線路沿い、あるいはプラットホームから見える駅舎内の片隅に植えられたコスモス、ひまわり、そして自ら群生するセイタカアワダチ草。それぞれの季節の風でこうべをゆらす光景は、過ぎ去った記憶へのいざないのようにも感じませんか。映画の中の主人公たちの旅もそろそろ終わりに近づき、やがて国境にたどり着きます。国境には、何もない退廃的な風景がどこまでも続いているだけでした。でも、それらを見たことで、また新しい旅路が必要であることを主人公たちは悟るのです。