中谷 礼二
2004年06月30日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2004年06月30日 |
中谷 礼二 |
都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.69) |
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「三仏寺」は、鳥取県東伯郡三朝町の山あいに展開する精妙な構成を持つ寺院群である。修験道の行場が発端であったらしい。その寺の敷地のいちばんの山上に位置し、切り立つ崖下に、まるで空中からはめ込まれたかのようにして建っているのが、その奥の院「投入堂」である。見学者は入山許可証をもらい、険しい山道をはい上がり、ようやくそこに到達する。創建は平安時代末期とされているが定かではない。その院は建ち方の異様さをして、役行者が法力で堂を投げ入れたのだという言い伝えがあり、別名、投入堂ともいわれてきた(写真1)。
投入堂の第一の特徴は、この建物が最も初期の「懸け造り」であったことに求められる。「懸け造り」とは、山崖や岩の上、あるいは河岸に張り出して造られた建造物であり、その床下の土台に特徴がある。一般のそれは「貫」と呼ばれる水平材を縦横に通して柱を緊結し、まるでジャングルジムのような人工地盤を作るのである。とはいえ投入堂の「懸け造り」はそれとは異なった、海月(クラゲ)のような浮游感、軽さを持っていることが特徴である。まるで宇宙から飛来した建造物であるかのようなのだ。この異形の建物は、過去の事物にまつわるさまざまな価値を検討するのに適当な、いくつかの側面を持っている。
投入堂が国宝に指定されたのは、明治三七年二月のことであった。この投入堂に文化財的価値が見いだされたのは近代においてであることは、とても大切なことである。つまり、過去の事物をめぐる文化財的価値とその事物が、当初に担っていた価値とは当然のように一致しないものだからである。