吉長 成恭
2004年03月26日作成年月日 |
執筆者名 |
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2004年03月26日 |
吉長 成恭 |
エネルギー・環境 |
エネルギー・ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.68) |
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産業革命とアダム・スミスと火打ち石
ここ六、七年間、研究調査の仕事でロンドン市内の行政機関を訪問する機会が多くなった。あるとき国会議事堂の近くで、アダム・スミス研究所という表札が目に留まった。この研究所が、あの『国富論』を著したアダム・スミス(一七二三―一七九〇)とどのような関係があるのかは定かではないが、金属板の表札を埋め込んである建物の壁に装飾してあるのは、断面が乳灰白色の火打ち石(フリント)であった(写真1)。
産業革命は、これまでの小さな手工業的な作業場に代わって、機械設備による大工業が成立し、産業の技術的基礎が一変し、これとともに社会構造が根本的に変化すること。産業革命を経て初めて近代資本主義経済が確立。一七六〇年代のイギリスに始まり、一八三〇年代以降、欧州諸国に波及した(広辞苑第五版)。
家内工業、手工業的な作業場の火と大工業の火とでは、物理的にも精神的にも存在感が違う。近代資本主義の成立と原始的な火打ち石とは、両極に位置するように感じるが、この表札を見ていると、火が人に与えてきた意味を示すものが、何か意図されてここに埋め込まれているような気がしてならない。
国民経済の最小単位である家計から竈の煙が消えていくことと、火打ち石を必要としなくなった近代資本主義の成立で失ったものとが、どこかで繋がっているのではないか。ロンドンの街角でこのような発見をしたことは、世界で最も早く産業革命を果たした英国から学ぶべきことが、夏目漱石の明治時代においても、それから百年を経た現在でもたくさんあるのではないかという気にさせられる。