神崎 宣武
2004年03月26日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2004年03月26日 |
神崎 宣武 |
エネルギー・環境 |
エネルギー・ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.68) |
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囲炉裏と家族のコミュニケーション
「住まいの火」は、大別して、暖房用と調理用、そして灯火用に分けられる。
今日のように暖房器具がさまざまに発達する以前、日本の民家には、囲炉裏が設けられていた。ことに寒冷な東北日本にあっては、それは生活に必要不可欠な装置であった。 囲炉裏は、その炎もともかくであるが、煙が室内にこもることによって、より広範に暖を得ることができた。したがって、東北日本の各地では、囲炉裏の火種を昼夜たやすことがなかった。
厳冬期はもちろんのこと、ところによっては、年間を通して火種をたやさずに燃やしたところも少なくない。というのも、囲炉裏の煙は、高温多湿の夏場に、屋根茅の湿気を取り除くための燻蒸の役割も果たしたからである。薩南諸島や伊豆諸島などに囲炉裏が分布したのも、夏場の燻蒸のためであった。
囲炉裏の火は、同時に調理にも用いられた。竈と併用して、それはおもに鍋ものの調理に使われた。『酒飯論』など中世の絵図を見ると、すでに五徳(土器)や鉄輪(鉄器)を用い、その上に鉄鍋を乗せて煮ているようすがたしかめられる。
やがて、自在鉤が広まった。自在鉤は、その名のとおり、囲炉裏の火はそのままに鍋の高さを自由自在に調節することで火力を加減できる便利な補助道具である。自在鉤の出現によって、囲炉裏での調理がさらに容易になったのである。
静かな静かな里の秋
お背戸に木の実の
落ちる夜は
ああ母さんとただ二人
栗の実煮てます囲炉裏端
と歌った童謡『里の秋』がある。もう口ずさむ人も少なくなったが、農山村での生活経験のある人たちにはなつかしい風景であろう。
かつて、囲炉裏端(炉端)は、鍋を囲んでの家族の食事の場であり、団欒の場でもあった。夜ともなると、遅くまで家族が囲炉裏端で時間を過ごしたものだ。
囲炉裏端では、家族の坐る場所がきちんと決まっており、たとえば、土間の水場や竈に近いところが主婦の座とされた。それをカカザとかオンナザという。主人の坐るヨコザや客人用のキャクザ、ゲザなども定められていた。火の管理は、すべて一家の主婦に委ねられる例が多く、主婦は、カカザに坐って火の調節から給仕まですべて行ったものである。