山口 昌伴
2004年03月26日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
2004年03月26日 |
山口 昌伴 |
エネルギー・環境 |
エネルギー・ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.68) |
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
煖爐のある風景
聖書読む妻の姿や瓦斯煖爐
大正時代に類句があったのだが思い出せないので、私が捏造した。
場所は、玄関脇に設けられた洋館の応接間であるに違いない。
マントルピース(※1)に設置した瓦斯(※2)煖爐(※3)には、林の梢のように象ったスケルトン(※4)に、青い炎がまつわり、梢を赤く輝かせただろう。
瓦斯煖爐に暖をとる妻は、洋装に洋髪でなければならず、倚る椅子はウヰンザアのロッキングなどであったほうがふさわしい。その瓦斯煖爐は英国製の直輸入=舶来品のヴィクトリアン様式の重厚華麗な鋳金工芸の粋をこらした製品であった筈である。
瓦斯の火は舶来の文明の火であったから、それを置くにふさわしい景観をととのえるには、洋館でなければならなかった。和式の邸宅では、玄関脇に西洋館を寄せて建てる風が大正時代、中産階級に流行した。後に日本文化の模倣癖を批判する向きでは、これは和洋折衷の典型例として貶された。
京都・金沢など戦災で焼けなかった都市で、この和洋折衷に出会うことがあるが、私は今どきの住まいのデザインの不確かさに較べて、なかなか堂に入った意匠だと見惚れるほうである。
その洋館の急勾配赤瓦の向こうに煙突など立っていると、家の中に煖爐の炎がもてはやされた時代を想い起こし、薪焚きが瓦斯煖爐に替わり、さらには火の見えなくなっていく、住まいの中の火の文化史に想いを致すのである。
火のある風景、火のかたちにインテリアから建物までが動員される、それは遙かなる昔の一景でしかありえないのか。そうとすれば、私たちの未来は、ずいぶん貧乏たらしいものでしかなくなるだろう。