辻 信一
2004年03月26日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
2004年03月26日 |
辻 信一 |
エネルギー・環境 |
エネルギー・ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.68) |
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
時々、南伊豆の山あいに山本剛さんを訪ねる。いつの季節でも彼は自分が焼いた竹炭で火を焚いてくれる。そしてぼくたちはその火を見つめながら、話をする。放置された竹林が急速にひろがって、生態系のバランスを崩しているのを見て、竹の産業を復活させるための事業に乗り出した。そのひとつが竹の炭焼きで、それがいつの間にか、彼の主要な仕事となった。
山本さんによれば、現代文明のおかしさの根っことして、人々が火との接点を失ったことがある。言うまでもなく、人は火をもつことによって人となり、以来、何万年という年月を人は火のそばで過ごしてきた。その火から遠ざかった時、人間に何が起こったのか。
焚き火どころか、マッチさえ擦れない子どもが多い。親たちが火の恐さを教え込んでは、子どもたちを火から遠ざけてきたからだ。山本さんも言うように、それは大人たちが水の恐さを教え込んで、子どもたちを水辺から遠ざけてきたことと、重なる。その一方で、川という川に三面張りを施し、ダムを建設し、海辺という海辺にコンクリートを敷きつめてきた。土もそうだ。体や服に泥をつけて帰ってくる子どもを親は叱る。都会では、土がもう太陽に触れることがないほどに、コンクリートやアスファルトで覆いつくした。
若者たちを連れて、北米や南米を訪ねる機会が多い。旅の中で彼らが何より喜ぶのは、キャンプファイアーの時間だ。同じオレンジ色の炎に頬を輝かせながら、夜のふけるのも忘れて語り合い、歌い、踊る。心の鎧を外して、共に笑い、共に泣く。そんな時、ぼくは思うのだ。焚き火をするためにこうしてわざわざ海を渡ってきたのだな、と。そして、ぼくたちの社会は、これだけのささやかな喜びを子どもたちに与える力さえ失っていることを思う。