石川 英輔
2004年03月26日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
2004年03月26日 |
石川 英輔 |
エネルギー・環境 |
エネルギー・ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.68) |
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
本の万華鏡
推薦者 石川 英輔
『里のあかり』 金箱 正美 編著 宮本 辰雄 写真
一九八五年 信濃教育会出版部
現代人にとって照明とは電灯にほかならない。
蝋燭や石油ランプを使うのはめったにない停電のときぐらいで、普通は、暗くなればほとんど無意識のうちに白熱電灯か蛍光灯のスイッチを入れ、昼間と大して変わらない明るさにして仕事を続ける。今の私たちにはこれが当たり前の生活だ。
しかし、人類の歴史の大部分を通じて、照明のためには何かを燃やすのが普通だった。この点は、猿人洞で焚き火をしていた北京原人も、ベルサイユ宮殿で蝋燭のシャンデリアのもとに集った貴族たちも同じだったが、燃やすものの種類が多かったため、燃える炎を照明として利用するための道具も、実に種類が多かった。火は扱い方によっては危険でもあるため、ものを燃やす照明器具にはそれなりの工夫が必要だったからだ。
手元にある信濃教育会出版部刊の『里のあかり』という本は、金箱正美氏が収集された日本の古い灯火具のモノクロ写真集(撮影:宮本辰雄)で、国の重要有形民俗文化財指定の963点は、長野県小布施町の「日本のあかり博物館」に収蔵、展示されている。
私は、江戸時代の照明器具の実物を見るために何度か通ったが、舞い錐、火打ち石などの発火具から、薪、木っ端などを燃やすためのヒデ鉢、北信州独特の寝曲がり竹を燃やす竹あかりに始まり、はしばみの実やえごま、なたねのような木や草の実を絞った油を燃やす油のあかりでは、ひょうそくのような素朴な道具から、短檠、瓦灯、行灯類など。さらに高級な蝋燭のあかり、石油のあかり、ガスのあかりまで揃っている。
燃やす、それも照明のためにものを燃やすという単純な目的に特化した道具を、少しでも使いやすいように工夫しながら、いろいろな形に作り上げてきた人々の知恵や遊び心が次第に見えてくるせいか、半日眺めていても飽きなかった。