弘本 由香里
作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2007年09月03日 |
弘本 由香里
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都市・コミュニティ |
まちづくり |
新聞・雑誌・書籍 |
産経新聞夕刊「感・彩・人コラム」 |
夏の終わりの一こまに、大正時代に大阪・上町台地界隈で幼時を過ごし、長じてグリコのオマケ係として独自のオマケ文化を生み出した、故・宮本順三さんの足跡をたどるお話の会を催した。講師は、「宮本順三記念館豆玩具舎( おまけや) Z U N Z O 」の副館長で順三さんの長女・樋口須賀子さん。順三さんの幼時の原風景は「上町のろうじ( 路地)」に始まり、数々の社寺の縁日で売られていた、縁起物の張子人形や生玉人形などの郷土玩具との出会い、駄菓子屋のあてもん、周辺の野原でのトンボやイナゴ捕り、木の実採りなど、厚みのある多様な環境・文化との交わりに満ちている。そんな原体験の中でも、飛び切りの印象を残しているもののひとつに、かつて四天王寺の春秋の彼岸の見世物として人気を博していた、「たこ踊り」と「たこたこ眼鏡」がある。カットレンズ付きの眼鏡
を借りて、愉快なたこ踊りを覗くと、無数のたこが現れるという趣向だが、画家の小出楢重や生田花朝など、そうそうたる面々もその記憶を描き残している。順三さんの心に刻まれた「たこたこ眼鏡」は、後に大ヒットする小さなレンズ付きのオマケを生み出すもととなり、物資のない戦中には、水滴がレンズ代わりのオマケも考案している。逆境にあっても、枯渇しない夢と遊び心を育み続ける、しなやかな創造力の源泉は、幼い日のまちとの豊かな交わりの中にあることに気づかされるのである。