栗本 智代
作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2006年11月01日 |
栗本 智代
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都市・コミュニティ |
まちづくり |
新聞・雑誌・書籍 |
「大阪人」200701月号掲載 |
JR 福島駅近くに、大学時代からの親友Mちゃんがいる。何かある度に「うちの家、大阪駅からひと駅のとこ。お寺やねん」と言っていた。“そんな都会の真ん中にどうやって住むのん?”“福島に寺町ってあったっけ??”と学生ながら不思議に思ったものだが、何度遊びに行っても疑問がぬぐえなかった。なんでこんな細い路地が多いのか?寺の隣に銭湯があって、妙に落ち着いた生活感が漂う、ここがホンマに大阪駅の隣のまちやろか…、と。最近になって、野田・福島界隈が、戦災を逃れた貴重なエリアだと知った。近くにある福島天満宮には空襲で焼夷弾が十二発落ちたが、全部不発で消失を免れたそうだ。Mちゃん家(ルビ:ち)のお寺も、明治末に一度焼けたが、その後移築により再建されてからは、立派な木造の本堂が維持されている。境内には、樹齢百年以上のイチョウの木もある。近くには、昔から料亭だった町家が料理屋として営業されていたり、長屋も少しだが残っている。福島区は10連合からなり、それが町会、班と細分化され、班は「隣組(ルビ:となりぐみ)」と呼ばれている。少し前までは、葬式などには隣組の近所で、女性はおにぎりをはじめ食事やお茶の準備、男性は仕事も休んで葬儀の雑務と、手伝いに走っていたという。地域の話を聞くならこの人と紹介されたのが、福島連合の民生委員長である菓子田忠也さんである。「隣組も、この10年で随分変わってきました。葬式の食事もコンビニに頼るようになって、昔のように総動員で会社も休んで手伝うことはかなり減りました。」「古い抜け道も道路の拡張でだいぶんなくなってしまいましたね。」と、さみしそうだ。それでも路地は健在で、迷子になりそうなほど入り組んでいる。残存する石畳とレンガの道は、横が空き地になっていた。「お地蔵さんを通した近所のつながりはありますね。福島二丁目三丁目界隈で四箇所お地蔵さんがありますが、お年寄りを中心に面倒をみています。特に八月の地蔵盆には、子供たちにお菓子を渡しますが、一晩で百五十人ぐらい来ます。」