豊田 尚吾
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研究領域 |
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2004年08月01日 |
豊田 尚吾
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住まい・生活 |
消費生活 |
新聞・雑誌・書籍 |
(財)統計情報研究開発センター「ESTRELA」2004年8月(No.125)所収 |
生活に戦略は必要であろうか。ここで言う戦略とは、生活に特定の「目的」を設定し、それを達成するために、個々の施策(戦術)を統合的に管理、運営する姿勢と定義しておこう。ケ・セラ・セラで何とかなるのが生活で、企業経営で取り組むような戦略性は必要ないという見方もあろう。一方で、異なる意見もある。実際、日本経済の成熟化とグローバル化を背景に、雇用にも不安定性が増し、「年収300万円時代の…」とか「金持ち父さんの…」とかいう人生設計、その中でも特にお金に関するノウハウ情報が巷に溢れている。このような状況の下、本連載における問題意識と仮説は以下のとおりである。“現在、私たちを取り巻く生活のリスクが大きくなりつつあり、このままでは生活の満足感が低下していく恐れがある。生活も目標を持ち、戦略的にその達成を目指すことに意味がある。”ただし、いきなり生活戦略とは何かといった、迂遠な話をしても面白くない。従って、まずは生活向上に関わる、本誌の趣旨に合うような統計的なテーマについて、取り上げ、考察していきたい。そのような中で徐々に生活戦略のコンセプトが明らかになってくればよいと考えている。ということで、今回は、少し旬を過ぎた感はあるものの、巷の「勝ち組・負け組」論を取り上げてみよう。本稿のポイントは以下のとおりである。第2節では、考察の切り口を提供する。すなわち、勝ち組・負け組論を、「分類する行為」と位置付け、それ以降の議論を方向付ける。第3節で、分類の可能性と限界、そして必要とされる前提を明らかにする。第4節で、人生の勝ち組・負け組論がその前提を満たしていないことを主張する。そして最後にまとめの考察として、それまでの議論が生活向上にいかに活用可能かについて、多様な情報の整理技術という視点を提供する。