濱 惠介
作成年月日 |
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研究領域 |
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備考 |
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2003年11月10日 |
濱 惠介
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住まい・生活 |
住宅 |
新聞・雑誌・書籍 |
(社)リビングアメニティ協会季刊誌ALIA NEWS |
これまでに私が移り住んだ家の数は30に及ぶ。「引越し魔か」と冷やかされることもあるが、この体験は私の人生を豊かにし、住宅関連の仕事をする上で貴重な資源ともなった、それらの中から多少なりとも本誌に関係があり、資源・エネルギーにまつわる思い出話をいくつかご紹介したい。
■お湯が使える住宅
昭和20年代の住まいで蛇口からお湯が出るというのはびっくりするような贅沢だった。小さな製鉄所を預かっていた父が自分と家族のために作らせた工場長社宅では、台所、洗面所、浴室にお湯が出ていた。溶鉱炉の廃熱を利用して200m先の自宅まで給湯配管を引かせたのである。湯が熱くなるまでにはずいぶん水を捨てなければならないが、いくら使ってもタダだから気楽なもの。熱い湯が出始めれば温泉と同じだ。
冬の朝、小学校の教室で担任の先生が「今朝お湯で顔を洗った人は?」と皆に問い掛ける。恐る恐る手を上げると、「ハマ君は仕方がない」と勘弁してもらった記憶がある。湯で顔を洗うのが軟弱なことと見られる時代だった。それにしても先生は児童の家の状況を把握していたらしい。
蛇口は真鍮製、浴槽はヒノキの厚板で作られた箱型。水漏れを防ぐ詰め物に檜皮が使われ、コーナー部分は銅版で補強されていた。シャワーはなく、上がり湯のための小さな湯槽は、洗面台や台所流しと同じく人研(じんとぎ)だった。
当時はちゃぶ台での食事が普通だったが、わが家にはテーブル・椅子式の「食堂」があり、台所とはハッチ付きのカウンターで結ばれていた。パーゴラが掛かったテラスやサンルームなど珍しい名前の場所もあり、公共水道もガスもない宮崎県の田舎町にしては不釣合いな「モダンリビング」であった。建築家の伯父が設計してくれた懐かしい家である。