安達 純
2001年06月30日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
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2001年06月30日 |
安達 純 |
都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.57) |
季刊誌CEL57号「CELからのメッセージ」 |
柳田國男の風景論
日本民俗学の祖と呼ばれる柳田國男は、昭和の初めに「明治大正史 世相篇」を著し、自らが生きてきた時代の世相を独自の視点から論じた。歴史とはふつう、選ばれた英雄たちの心事を説いたものを指すが、柳田のアプローチはそれとは違って、一般大衆の日常生活の移り変わりや、その底に流れる心の変遷の中に歴史を見い出そうとするところに独自性があった。「明治大正史世相篇」のどのページを開いても、私たちはたちまち柳田ワールドに引き込まれる。けれども先ずはこの本の構成どおりに、” 眼に映ずる“ものや” 耳に聞く“世界から入っていくことにしよう。
例えば「時代の音」という項で柳田は、天然の恵みによって与えられた音ばかりでなく、人が新たに作り出したものにも” 耳を澄まし“て、次のように言う。
昔は縁の下に蟻が角力をとる音を
聞いたという話がある。それほどで
なくとも心を静めて聞けば、まだま
だ面白いいろいろな音が残っている。
聞き馴れて耳に留まらなくなったの
は、叢(くさむら)の虫、梢の蝉だけ
ではなく、清らかなるものの今や稀
になったのは、野鳥の囀りのみでも
ないのである。新たに生まれたもの
のいたって小さな声にも、心にかか
るものは多い。ある外国の旅人は日
本に来てことに耳につくのは、樫の
足駄の歯の舗道にきしむ音だと言っ
た。しかり、これなどは確かに異様
である。そうしてまた前代の音では
なかった。
私たちの日常生活ではめったに聞かれなくなったが、足駄の舗道にきしむ音は、当時はむしろ新しい音であったのである。「明治大正史 世相篇」では、例えばこのように、色や音、味、香りといった人間の五感で捉えられた印象が語られ、その変化から人々の心のありさまや、それを取り巻く家や社会の変遷が描き出される。”風景“についても一つの章が設けられている。少し長くなるが、柳田自身の文章を引用してみよう。