濱 惠介
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研究領域 |
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2000年10月01日 |
濱 惠介
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都市・コミュニティ |
都市システム・構造 |
新聞・雑誌・書籍 |
(財)住宅総合研究財団 2000年秋号 |
住宅供給の一時代を画した「団地」の設計技術とは何だったのか。都市居住が成熟段階に入ろうとする現在、団地の草創期から近年に至る特徴的な状況や技術・手法の変遷を追うとともに、その今日的意味を確かめたい。
なお、団地設計の本流を日本住宅公団(のち住宅・都市整備公団、現 都市基盤整備公団)に求め、事例と関連資料を引用させて頂いた。
団地の時代
「一団地住宅経営」という言葉が既に大正時代の法律にあるが、「団地」の概念が一般化したのは住宅公団が始動した昭和30 年以降と言える。戦後の混乱期を脱し高度経済成長期へ入る頃であった。戦災による絶対的住宅不足と人口の大都市集中が大量の住宅供給を必要とした。住み手は若い働き手である夫と妻子からなる核家族が典型で、2DK はその代表的な受け皿となった。急激な成長・拡大の時代が「団地」の始まりと全盛の時代と重なる。そこには、早く・大量に・良い住宅を供給する、という明確な目標があり、団地設計はその目標に沿って展開した。早さと量だけでなく団地の質も再評価されるべきである。先進国の実例、公営住宅の経験などを土台に、集合住宅、コミュニティー施設、オープンスペースなどが計画的に配置された団地は、理論と技術の開発によって支えられた。住宅の質も当時としては水準が高い。住戸規模は伸び悩んだが、設備、構造、耐火性能などにおいて一般住宅を凌駕していた。