濱 惠介
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2000年06月30日 |
濱 惠介
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都市・コミュニティ |
都市システム・構造 |
情報誌CEL (Vol.53) |
都市が美しいか美しくないかは、多分に主観的なものである。見えている対象は同じでも感じ取り方は人により様々だろう。しかし都市の現状を見るにつけ、都市景観について真剣に考える必要があると痛感する。ここではありふれた都市空間について視覚的な美醜の判断、特に汚くしている要因について論じたい。
私の目には我が国の都市は多くの部分は乱雑で、都市美の対象とするには程遠いように見える。戦後の復興、高度経済成長の過程を通じ、営々と都市の建設を行って来た現時点での到達点である。膨大な投資が行われた。都市インフラの整備率などで都市整備の状況が評価される。多くの建築も素晴らしい成果を上げた。しかし総体としてどんな都市ストックを築き得たのか。都市の全体像は都市景観が最も雄弁に物語る。その姿に情けなさと苛立ちを感じるのは私だけではあるまい。
本論では、現実の姿を見つめることから、景観を構成する諸要素とそれらを形作った背景・制度などの検証を試みる。
都市の美しさとは
本題に入る前に、都市景観、都市美とは何かについて若干の考察をしておこう。都市の美しさは視覚的評価だけではない。美しさには心地よさによって裏付けされるのが普通で、それは視覚以外の感覚を交えた心理的要素である。また、「ちり一つ落ちていない」というような清潔さ、衛生的評価も含まれる。ここで論ずる景観は主として視覚による評価で、目に入る景色を立体的な映像として捉え感じることが基本である。視点を移動させ、動きと記憶のプロセスで形成される心象「イメージ」は主として景観の産物である。
仮に都市景観を?美しい、?普通の、?醜い(みっともない)ものに三分してみる。その境界線はややあいまいで、個々人の感性に左右される可能性が高い。ともあれ、?は美観とも表現できしばしば絵画や写真、絵葉書などの材料となる。まさに絵になるような”picturesque”と言い表せる。美しさ故に経済・文化価値を生じ得るのだ。一方、?は感激を呼ばない代わりに不快感を与えることもない。ただ漠とした都市の印象には残る。問題なのは?である。これはそこに暮す人々、訪れる人々にマイナスのイメージを植え付ける。