前市岡 楽正
作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
1998年03月10日 |
前市岡 楽正
|
住まい・生活 |
その他 |
WEB |
未公開 |
新しい百年に向けて経済の再構築を議論するには、目指すべき目標が明確になっていなければならない。目標の明確化のためには過去の経験の総括が必要である。 20 世紀後半の日本経済は<成長主義の時代>と総括できよう。この間、現実の成長率は大きな変動を示したが、その時々においてできるだけ高い成長率を実現することが目標とされたという点では一貫していたといえる。成長主義に対する批判は常に存在したけれども、現実の政策や論壇の主潮が成長主義にあったことはまぎれもない事実である。
この時期の日本経済は過去最高の経済成長を実現した。その意味では成長主義は成功した。しかし本来の目標は達成されたであろうか。本来の目標とは何か。経済活動の目標は経済的欲望の充足であり、その実現度、つまり経済的進歩の度合は経済的充足感によって測定される。このことに異論はなかろう。経済成長によって実現した所得の増大は、経済的充足感の向上をもたらしたであろうか。答えは否である。国民生活選好度調査(経済企画庁)によれば、「収入が年々確実に増えること」が「きわめて重要」あるいは「かなり重要」とする人の割合は、長期にわたって高率で推移してきており、低下の趨勢はみられない(1978 年86.9%、1981 年88.1%、1984 年88.8%、1987 年87.6%、1990 年86.8%、1993年87.2%、1996 年82.9%)。現実の1人当たり実質GDPはこの間に1.6 倍になっているのに、経済的充足感は向上していない。
どのように考えればいいのか。史上最高の水準にある現在の所得でも未だ「必要な」水準からみると不十分であるとの説明は説得的でない。もしそうなら、たとえ徐々にではあっても所得増(経済成長)の重要性は減少していくはずである。人間の経済的欲望は無限であって現在の所得はまだ問題にならないという説明、あるいは所得の増加に伴って経済的欲望そのものが拡大していくという説明は可能であろう。しかし、前者なら成長の継続は徒労であって追求すべき目標ではなくなるし、後者であれば、追求されるべきは所得の増加ではなく欲望を拡大させないためにはどうすればよいかであろう。いずれの場合でも、成長の継続という選択は合理的でない。