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情報誌CEL

Dr.Ingrid Haslinger、山下 満智子、宇野 佳子

2010年03月26日

連載 食卓の喜び 第4回 ロシア式給仕法

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備考

2010年03月26日

Dr.Ingrid Haslinger、山下 満智子、宇野 佳子

住まい・生活

食生活

情報誌CEL (Vol.92)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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<ロシア式給仕法>
 ヨーロッパの宮廷を中心にした貴族社会の給仕法として、前回の「フランス式給仕法」に続き、今回はロシア式給仕法を紹介する。
−アントナン・カレームとロシア式給仕法−
 19世紀に入るとフランスでは、料理の質を高めるために給仕法が変わり始めた。料理は、一品ずつ順に食卓に運ばれるようになり、食卓の料理はより温かく供され、冷めて風味が落ちるということがなくなった。この新しい給仕法はパリのロシア大使館が導入したとされており、そのために「ロシア式給仕法」と呼ばれるようになった。しかし、アントナン・カレームが、ナポレオン一世のフランス帝国の終焉後しばらくロシア宮廷で働いていた間に、そこでこの新しい給仕の形態を“発見”したという説もある。いずれにせよ、ロシア式給仕法はカレームが取り入れたことによって次第にヨーロッパ中に広まったのである。カレームは、ロシアの給仕法は食卓のエレガンスや選択肢に欠けていると感じたが、しかし、それによって食事の質が大変向上するということを認めた。そして彼は、この新しい給仕法を取り入れようと決心したのである。
 ロシア式給仕法が、かつてのフランス式給仕法にかわって、オーストリアに確固たる地位を築き始めたのは1830年頃で、フランツ=ヨーゼフ皇帝(1848-1916)が帝位を継承した1850年頃にはすでにしっかりとこの給仕法が根付いていた。
−ロシア式給仕法による食卓の変化−
 ロシア式給仕法は、食卓に重要な変化をもたらした。
 まず、それまで食卓の中央には料理の盛られた大皿、キャセロールが置かれていたが、それらがなくなったために、食卓にはぽっかりと「空間」ができてしまった。その空間を埋める必要から食卓の中央には、鉢や大皿にかわって、すばらしい細工を施され金メッキされたブロンズ製のセンターピースが置かれ、そこに花や、夜にはロウソク、そして糖菓子や果物、コンポートなどのデザートが飾られた。食器の横には、磨き抜かれたクリスタルガラス製の飲み物用グラスが置かれるようになり、グラス類はロシア式給仕法のテーブルデコレーションで、食卓での新たな存在価値を見出されることになった。

 

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