越智 道雄
2010年07月01日作成年月日 |
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2010年07月01日 |
越智 道雄 |
住まい・生活 |
ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.93) |
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-「生物的家族」と「非生物的家族」-
普通の意味での「血縁的家族」について「生物的家族」という言い方が前世紀後半から一般メディアでも使われ始めた。当然、現代社会において、グループ・ファミリーをはじめとして「非生物的家族」の類型が増えてきたとする認識のゆえだった。
日本は、1億人以上の人口に対して在日外国人が220万人しかいないという、世界でも極めて特殊な国だから、「一国をあげて生物的家族」というような錯覚がある。他方、アメリカは190を越える民族集団の寄り合い所帯だが、今日の世界では、むしろこちらのほうが普通だろう。
日本人が国境を越えるのは海外渡航しかないが、多民族社会では国内で日々国境を越える。人口はアメリカの15分の1以下でも、やはり190余の民族集団が住む小型の多民族社会オーストラリアで、あるギリシャ系少女は、自宅から大通りへ出るとき、「ここから私はオーストラリア人よ」と言い聞かせ、多民族社会である学校では「オーストラリア人をやって」、帰路、自宅への路地の入口で「さあ、ここからはギリシャ人よ」と言い聞かせたという。これこそが「内なる国際化」なのだ。
この基本構造の違いは、日米豪の家族の違いを決定的にするだろう。つまり、多民族社会では社会がすでに非生物的家族なのだ。
-なぜ自分の子がいるのに異民族子弟を養子にできるのか?-
太古からの非生物的家族は養子縁組による家族だが、前世紀後半からアメリカで目立つのは、実子がいるのに異人種の子供を養子にする鮮烈な慣習である。今回サンドラ・ブロックがオスカーを受賞した『しあわせの隠れ場所』も、白人家族が都心スラムの黒人青年を養子にしてアメフトのスター選手に育て上げたという実話がもとの作品で、この類型が使われている。オバマと大統領選を争った共和党のマケインも、アジア系の孤児を養女として実子とともに育て上げたが、2004年の大統領予備選ではブッシュ陣営から「不義の子」との悪宣伝にさらされた。
日本人は、実子がいれば不幸な孤児を引き取る勇気はない。他方、アメリカで最も生物的家族にこだわるヒスパニックは、よほどの事情がないかぎり、この型の養子縁組を家族への冒瀆と考える。先の映画の白人家族テューイ家もマケイン家もたまたまプロテスタントだが、キリスト教信仰が「勇気」の根幹にある可能性が高い。一方、それに劣らずヒスパニックの生物的家族への信念には、カトリック信仰が裏打ちされている。映画『ミ・ファミリア』や『落ちこぼれの天使たち』はその参考になる。ハーバードに受かっても親と別れたくないので、地元ロサンジェルスの大学へ行くほどなのだ。
大きく分けると、プロテスタントは、世間はもとより内面ですら罪を犯さないよう自己監視を怠らない「自力本願」型、カトリックは、罪は防げないから告解で免罪してもらう「他力本願型」である。しかし、どちらの内面をも「神のまなざし」が貫いている。このまなざしは、近代化すれば「公」の概念へと通底する。したがって、非生物的家族、生物的家族を問わず、「公」の概念が浸透し、それが背骨を形作っている。