浜田 久美子
2011年01月11日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2011年01月11日 |
浜田 久美子 |
エネルギー・環境 |
地域環境 |
情報誌CEL (Vol.95) |
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−予期せぬ出来事−
私は現在、森と木と人の関わりをテーマにした著述業をしています。しかし、もともとは心理学を学び、精神科や相談所などでの心理セラピストを一生の仕事にしようとしていました。最初に就いた仕事は精神科のカウンセラーです。思いもかけない展開から「転職」に至りましたが、それは木に助けてもらったことから始まりました。
20年以上前、私は心理セラピストのキャリアアップのために大学院に戻りました。充実して学んでいたつもりでしたが、いざ再び仕事を、という段階になったとき、なぜか「やりたくない」という気持ちになっていたのです。何がショックかと言えば、やりたくない理由が自分でもわからないことでした。だって、やめてどうするというのでしょう?ただやめたいなんて、子どもの習い事じゃあるまいし。わざわざ大学院に戻ったのに、今さら全部をやめたいなんて、この後私は何をするの?どう生きていったらいいの…?
そう考えてしまった流れの行きつく先は、本心にフタをして、とにかく続けようとする無理でした。結果、ますます眠れなくなり、食べたくなくなり、気持ちの落ち込みは悪化しました。私は、大学院で登校拒否になりました。
−木、あらわる−
日々、うつうつとしている私を案じて家族がキャンプに連れ出しました。そのキャンプ場にはところどころに木があり、それらの木の脇を通るたびになぜか立ち止まり振り返ってしまう、というのが発端でした。後ろ髪を引かれる、という言葉そのものです。通り過ぎて、何歩か進むと、何だか気になって振り返る。するとそこには木がある。 (何だろう?)
何回目かに、そう思って木に近づきました。どこにでもあるような平凡な大きさの木でした。でも、そばに行き触れてみると、その温かさと柔らかさにハッとなりました。
当時、まったく木の種類がわかりませんでしたが、実はそれらの木々はスギでした。スギは、材も柔らかく温かみが強い木ですが、立っているときの木も樹皮が少し、ふわっとして厚みがあり、その分温かく感じます。もちろんそのときはそんなことは知りません。ただその感触が気持ち良くて、ふと、抱きついていました。
とても気持ちがいいのです。木の感触自体も前述のように温かみと柔らかさがありましたが、そういう触感だけではない、言い尽くせない気持ち良さが驚きでした。何しろ、当時それまで経験したことのない心身の不調感の中にいたのです。だから木に身をゆだねたときの安心感と安定感の気持ち良さが際だって感じられたのだと思えてなりません。
でも、キャンプ場から戻り日常が始まると、その気分の良さはどんどん減っていきました。それからです。週末になるとキャンプに行っては近くの山に入り木に抱きつくことが始まりました。
当時、私は自分がバッテリーになったような気持ちでした。電源は木。木に抱きつく週末で気分が満タンになり、週日でそれを徐々に使い果たして再び充電に出かける、そんな感じだったのです。同時に、街に戻ってからも街路樹や公園で木を見かけると、周囲に人がいないときにはサッと近づいて少しでも抱きつく、という怪しい人になっていきました。