煙山 泰子
2011年01月11日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2011年01月11日 |
煙山 泰子 |
エネルギー・環境 |
地域環境 |
情報誌CEL (Vol.95) |
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私たちのまわりでは、1枚の紙から家具や建物にいたるまで、木から生まれたものがたくさん使われています。でも、材料となった木が生きてきた森を想像できる人はどれだけいるでしょうか?木に触っていると癒されるとか、木は優しくて心がなごむと言われますが、いま、現代人の五感のなかで最も失われているのが触覚なのだそうです。日本は豊かな森林に恵まれ、大昔から木を生活のなかで使い続けてきました。だから木に触れていると、眠っていた感性が目覚めるのでしょう。その感覚の原点は「なつかしさ」にもつながります。
ここ数年「木育」という新しい言葉が注目されるようになりました。木育とは「木とふれあい、木に学び、木と生きる」取り組みです。それは、子どもの頃から木を身近に使っていくことを通じて、人と木や森との関わりを主体的に考えられる豊かな心を育むことです。
たとえば、私がデザインした色々な種類の木のタマゴは、木材の色や重さ、木目の違いを感じるための遊具です。生命を感じさせる木のタマゴから、それを生んだ1本の木が過ごした永い森の時間を「手のなかの森」のように感じてもらいたいと思っています。ナラは硬くて強いどんぐりの木、渋い風合いのクルミは果実がリスの食料にもなっていることなどを語ると、だれもが穏やかに感触を楽しんでくれます。なかには、毎晩のようにタマゴを抱いて眠る子もいるとのこと。このようにさまざまな木のモノに触れて「これ、良いな〜」と感じたものを、毎日触り続けてみてください。いつか、それが自分にとってかけがえのない大切なモノになるはずです。
身近な街路樹や公園にも目を向けてみましょう。1本の樹木が見せる四季の営みのなかにも、普段私たちが見過ごしている小さな自然の美しさと不思議に出会えるはずです。時には親子で森へ出かけて散歩をしたり、森の空気を深呼吸したりするだけでも「森って、いいね〜」と共感できるでしょう。そんな経験を通して生き生きとした感性が育まれると、それは必ず「なんだろう?
なぜだろう?」という知的な興味や学びにつながります。このような身近な体験から、人と木や森とのつながりを考える心が少しずつ養われていきます。木が育つのには何十年、何百年という時間がかかり、木材になってからもまた同じくらいの時間を生きることができます。人間の短いサイクルでこれらの自然と共に生きていくためには、私たち人間に賢さや慎ましさが求められるでしょう。