加用 文男
2011年09月30日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2011年09月30日 |
加用 文男 |
エネルギー・環境 |
地域環境 |
情報誌CEL (Vol.97) |
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"はじめまして。東京の「のびちゃん」ともうします。1歳の男の子の母です(三十路半ば)。昨日、「光れ!泥だんご」の再放送を見ました。ぜひ主人や子どもにも見せたいすばらしいものでした。再々放送は、ないのでしょうか?
なぜこんなに、旦那にもみせたいのか…それは、わたしが幼稚園のころ、泥だんごを光らせようと、必死になっていたからです。そう…最後にだんごをこわして、泣きそうになった男の子のように…。大事に大事にしていました。箱にいれて、光った泥だんごをとっておいて、つぎに見た時、ポロポロになって泣いたのを今も…今も切なく思い出すのです。
あの時の思いが凝縮されていたといったら…分かるでしょうか…自分でにぎった、はじめて光った泥だんご。幼稚園の園庭のブロックの下の土がいちばんきれいに光りました。
こんなに年をとってもわすれられない…何を…わたしは、何をにぎったのでしょうか?想い出?宝物??自分の中の記憶を鮮明に呼びさます映像でした。光る泥だんご。わたしもまた作りたいです。わたしも仲間にいれてください。またきますね。のびちゃんでした。"
これは数年前に「日本泥だんご科学協会」のHPに書き込みされたものです。「泥だんご学会」のようなものがあると誤解されている方もおられるようですが、実はほとんど冗談でホームページを作っているだけなのです。ただそこには全国のいろんな方が掲示板などに自分の苦心などを書き込まれるので「研究交流板」のようになっていますが…。
元に戻りまして、前記の書き込みはそういうもののひとつでした。類似した書き込みはかなりありましたが、たまたま、こののびちゃんという人の投稿を読んだ時、上手な文章に微笑みつつ、ちょっと考え込んでしまいました。この方が(三十路半ば)とご自分の年齢を書かれていたので、つい想像してしまったのです。幼児だったのびちゃんが泥だんごを作って遊んでいたのは30年前。その当時、のびちゃんのお母さんが(どういう方かは分かりませんが)果たして、子どもが泥を丸めただんごを持って家に帰ってきたりすることを喜んだだろうか?と。「土を家に持って帰っちゃだめじゃない」あるいは「手をちゃんと洗ってね」などという対応をされたのではないでしょうか? 当時の子どもなら、そういうことも予想できるので、そおっとどこか下駄箱とか自転車小屋とか大人の見えないところに隠しておいて…というような振る舞いをしていたのではないでしょうか。子どもにとって泥だんごはそういうアンダーグラウンドな、裏の世界の遊びのひとつだったはず。それが、今、「光る泥だんご」としてブランド化して、こんな知名度のある遊びになってしまって…。