太田 順一
2012年03月26日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2012年03月26日 |
太田 順一 |
エネルギー・環境 |
地域環境 |
情報誌CEL (Vol.100) |
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同志社大学の院生だった6年前、渡辺雄人さん(30)は大原暮らしを始めた。農村におけるソーシャルイノベーション研究の実験施設である農家と農地の管理を担当教授から任されたのだ。三千院の近くにあるその農家に住み込み、見よう見まねで耕作を始めてみると、自分でも驚いたことに朝市に出して売れるくらいの野菜ができた。ひょっとして農業で食っていけるかも……。
「遊び半分というか、研究の一環で始まったことなのです」
きっかけは「遊び半分」でも、あとは一途だった。有機農業の大家に弟子入りして本格的に農業を学び、大学院の後輩である民さん(29)と結婚すると、ふたりで田んぼ4反、畑5反の農園を営む。農水省制定の有機JAS認証も取得した。
同じころ、大阪などから大原に入植してきた同年代の有機農業者たちと知り合い、自然とグループができた。オーハラーボと名をつけたのは民さんだ。
「自然も文化も含めて、この大原という地域を丸ごと愛していきたいのですね」
代表者がいて会則があってというのではなく、あくまでもゆるやかなつながりだ。それでも地縁者でないのに大原に新規参入してきた者同士、お互い心強い仲間である。農機具を貸し合うのはもちろんのこと、最近では子育てで助け合うことが多い。
「農業は高リスクの仕事だと思われますが、ナスがだめならキュウリがあるという具合に、少量多品種栽培で何とか乗り越えられます。家が農家だったからとかでなく、自分で選んでやりたくてやってるわけですから、楽しく農業をやらないと。オーハラーボの仲間も皆、遊ぶことが好きな人ばかりです」