鈴木 隆
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2013年03月01日 |
鈴木 隆
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住まい・生活 |
その他 |
情報誌CEL (Vol.103) |
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―はじめに―
組織・社会を生成するコミュニケーションは、よく言葉のキャッチボールに喩えられる。キャッチボールであれば、子供でも容易にできるはずである。ところが、大人になっても日々苦労しているというのが実感ではないか。コミュニケーションは、言葉だけでされるものではなく、キャッチボールのように単純でもない。コミュニケーションは、誤解しあいながら理解しあう微妙な行為なのである。本稿では、夫婦の会話からマーケティング、国家外交まで、その成否の鍵を握るこの微妙なしくみについて見ていくことにする。
―コミュニケーションは通信か―
言葉のキャッチボールの喩えにも、実は理論的な裏付けがある。シャノン&ウィーバーの「通信モデル」である(※1)。送信者が話した音声を電気的な信号に変換し、雑音の影響を防いで効率よく伝達し、届いた信号を音声に復元し受信者が聞く、というものである。コミュニケーション論や社会学、マーケティングなどでも、この通信モデルや簡略化したSMCR(情報源→メッセージ→チャネル→受信者)モデル(※2)が多用されている。家庭や学校、会社などの日常生活でも、通信モデルを暗黙の前提としていることがほとんどであろう。言葉のキャッチボールとの喩えが定着しているわけである。
しかし、そもそも通信モデルは、記号を電気的な信号パターンに変換し効率よく伝達するために考案された通信工学の理論であ
る。それを人間が情報の意味内容を伝達するコミュニケーションにまで拡大適用するのは行き過ぎである。
「この理論は、意味論的なレベルを伴うような通信上の諸問題を扱うのには適当でない」(※3)。コミュニケーションの効果だけに着目し、人間のコミュニケーションの多くの重要な局面に適合しない機械的な線形モデルを採用したものである(※4)。完璧にユーザーおよび感受性を無視しており、「左脳の線形的な偏向の典型」である(※5)。情報の意味内容が送り手や受け手の外部にあって小包のように往来するとの考えはとらない(※6)
(※1)クロード・シャノン、ワレン・ウィーバー(2009)『通信の数学的理論』筑摩書房
(※2)デヴィッド・バーロ(1972)『コミュニケーション・プロセス』協同出版
(※3)ケネス・ボールディング(1975)『経済学を超えて』学習研究社
(※4)エベレット・M・ロジャーズ(1992)『コミュニケーションの科学』共立出版、エベレット・M・ロジャーズ、リーカ・A・ロジャーズ(1985)『組織コミュニケーション学入門』ブレーン出版
(※5)マーシャル・マクルーハン、エリック・マクルーハン(2002)『メディアの法則』NTT出版
(※6)西垣通(2004)『基礎情報学』NTT出版、西垣通(2008)『続基礎情報学』NTT出版