山極 寿一、濱野 智史
2014年03月03日作成年月日 |
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2014年03月03日 |
山極 寿一、濱野 智史 |
住まい・生活 |
ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.106) |
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長年アフリカでゴリラの社会の研究を続けてきた山極寿一と、ソーシャルメディアから現代社会の研究に取り組む濱野智史。
ふたりの対話からは、サルと人間をつなぐ多様な「ソーシャル」のあり方が見えてきた。
現代の象徴・携帯とソーシャルメディア
濱野: ここ3、4年、ソーシャルという言葉が急にいろいろな場所で使われるようになりましたが、やはり背景にはソーシャルメディア、フェイスブックやツイッターの隆盛があると思います。山極先生はソーシャルメディアは使われていますか。
山極:やらないですね。そもそも携帯電話も持っていないんです(笑)。
濱野: そうなんですか!
山極: 面と向かって話しているときに携帯を優先する人がいますが、優先順位が逆じゃないかと思います。対話という直接的なコミュニケーションで対峙しているのに、電話の向こうの世界を優先して、こちらの世界にいないという不在感がある。
つい最近までは、直接対面して話すということは非常に重要なことでした。だから、面接や商談が重視された。お互いの気持ちを通じさせる、最良の手段だったわけです。でも、今という時代は、むしろそれを避けようとしているようにすら思える。顔を合わせない方が自分のイメージもコントロールできますしね。
濱野: 現代人の防衛機構かもしれません。2013年にアメリカで流行ったのは「セルフィー」と言って、携帯で自分の顔を撮ってネットにアップすることです。まさに、自分のイメージをコントロールしようという意識が表れたものだと思います。
山極: 今は、自己実現、自己責任の時代と言われていますが、携帯はその象徴です。他人を使って実は自分と対話しているのが携帯だと思う。携帯がない時代の人たちは、まさに他人の目や声を通じて自己を確立していたわけです。でも、携帯があると、他人と会わなくてもよくなる。携帯でメッセージやら何やらが入ってきて、自分がひとりじゃないということを確認しつつ、実はすごく内向きになっているんじゃないかと思います。