向笠 千恵子
2014年03月03日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2014年03月03日 |
向笠 千恵子 |
住まい・生活 |
食生活 |
情報誌CEL (Vol.106) |
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和食の基本は一汁三菜であるとされる。ご飯と漬け物を別にして、汁1品とおかず3品という意味だ。「菜」はおかず=おそう菜だが、野菜を指す言葉でもある。和食には野菜のおかずが多いし、野菜がとてもおいしいので、混用されるようになったのだとわたしは信じている。
野菜は元をたどれば野草が改良されたものだが、何百年何千年間も栽培されるうちに、気候風土に合わせて性質が変わった。というより、農家の人たちがそのように改良してきたのである。わたしは、野菜は人間が創り出した文化遺産だと呼びたい。
野菜はごく身近でつくられるものだった。冷蔵庫がなく、流通手段に乏しい時代には、野菜は地元でつくり、地元で食べるのが当たり前だったのだ。現代の「地産地消」の動きは、じつは、温故知新の一例なのである。
そして、風土に根付いた野菜はその土地に合っているぶん、食べやすく、おいしい。これが地方野菜のいちばんの魅力で、持ち味を生かした調理法が工夫され、郷土料理として伝承されるようになった。
地方野菜で最初に知名度が全国区になったのは京野菜である。賀茂なす、九条ねぎなど地名が付いているから、産地名をつなぎ合わせると京の街をぐるりと取り囲むラインになる。浪速野菜、加賀野菜、庄内野菜なども、いちいちの野菜名を地図でたどってみるとおもしろい。
東京でも、いま、江戸東京野菜が勢いづいている。東京都には現在も野菜農家が健在で、江東区・葛飾区などでは小松菜、西郊の武蔵野台地では"うど"が特産である。そのうえ、昔の野菜の復活運動も盛んで、絶滅しかけた地元野菜が40種類以上も息を吹き返している。