水原 紫苑
2014年07月01日作成年月日 |
執筆者名 |
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2014年07月01日 |
水原 紫苑 |
住まい・生活 |
ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.107) |
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港町横浜に生まれて育った。とはいうものの、山手や伊勢佐木町などの本当のハマ育ちではない。戦後にできた、いわば新開地の住人である。
母方の祖父母は能登の出身だが、母は生粋のハマの育ちだった。毎日、伊勢佐木町の商店街を通って小学校に行き帰りした母にとっては、なかなか連れて行ってもらえなかったロードショーのオデヲン座や、同じ学校に社長の子どもたちがいた有隣堂書店や、やはりお嬢さんが母の妹の同級生だったシウマイで有名な博雅などが、晩年まで星座のように、心の決まった位置に輝いていた。
母の語る横浜は、東京とは全く異なるきらめきに満ちた宇宙だった。まさか開国の当時ほどではないが、いわゆる舶来の高級品が、東京の三越や?島屋にはなくても、元町には揃っていたし、戦後GHQが接収して総司令部を置いたのもホテルニューグランドだった。祖父の家の隣の女主人は、英語が堪能なので、マッカーサー夫人の秘書を務めたひとだった。
いわば、外来の文化を、凌辱すれすれの形で受容し、荒々しい異風を放ったのが横浜の魅力だったのだろう。私が成長する頃には、もうその独特の魅力は薄れて、横浜は東京の衛星都市になりつつあった。その横浜の魅惑の名残を留めているのが、三島由紀夫の小説『午後の曳航』である。
三島の戯曲は別として、小説は、今読むと絢爛たる修辞ばかりが目立って、古びた印象が否めないものが多い。だが、『午後の曳航』は傑作だと思う。少女時代に読んだが、「臙脂の下着に黒絹のレエスの着物を着て、(中略)たとえようもないほど美しかった」という、初めて男と逢う女の装いなど、細部がありありと浮かんで来る。
舞台は元町の舶来洋品店で、未亡人の若く美しい女主人房子と、十三歳の息子登、そして房子と結婚しようとする二等航海士の龍二の物語である。三島好みの上流ブルジョワ家庭なので、下町の商家の娘だった私の母の全く知らない横浜の生活が描かれている。
主人公登は、夜中に脱け出したことがあるために、外から鍵のかかる寝室で夜を過ごさねばならない。鍵をかけるのは母である。登は、夜な夜な、壁の穴から母の裸身を覗き見ている。テニスで鍛えている母の体は均整が取れて美しく、自身でそれを確かめるかのように、母は寝る前に全裸になるのだ。