豊田 尚吾
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2014年10月22日 |
豊田 尚吾
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住まい・生活 |
ライフスタイル |
デザイン・ユア・ライフ |
ウェルビーイングを概観する
ここからは生活者の合理性に焦点を当ててウェルビーイングの実現を考えていきます。しかし、その前にその話がどういう位置づけなのかという、全体の中での「地図」を明らかにしておきたいと思います。
「ウェルビーイング」といっても万人が納得する厳密な定義があるわけではありません。この連載では以下のように捉えています。ウェルビーイングを大きく3つの要素からなるものと考え、それらを「主観的幸福感」「客観的幸福度」「社会的責任(倫理)」と名付けます。
主観的幸福感とは「自分自身が幸福だと感じているかどうか」ということです。周りから見ていかにうらやましい生活をしているように見えても、その人自身が「幸せ」だと感じていない、さらにいえば「不幸だ」と感じていればそれはウェルビーイングが実現しているとはいえませんね。その意味で、主観的な幸福感は最も重要な要素であることは間違いありません。
ただ、気をつけなければならないのは、これは後に出てくる経済学でいう「効用」とは異なるということです。主観的幸福感に関してはたくさんの研究蓄積がありますが、幸福感に影響を与える重要な事項として家族の幸せや友人関係などが指摘されています。世の中で不幸な惨事が起これば主観的な幸福感は低くなりますし、前回の例にあったように他人が自分よりもよい状況にあると何となく気分が悪いということも無視できません。主観的幸福感というのは、自分や身の回りの人の状況も含めて、それをどう評価するかということだと言えます。
次の客観的幸福度というのは「他人から見ても、よい生き方が実現できる状況にあるかどうか」を評価したものです。主観的幸福度の例とは逆に、いくらその人自身は生活に不満がなくても、周りから見ると極度の貧困状況にあったり、衛生状態が悪かったりすることは、特に途上国ではよく見られることです。教育の機会を与えられていない子供も多く、国連などが支援していますが十分ではありません。
このような、実際にどのようなことを実現できる自由があるのかということをケイパビリティという言葉で表現しているのが経済学者のアマルティア・センや哲学者・倫理学者のマーサ・ヌスバウムです。センは既存の厚生経済学を超えて経済の分配や公正を論じ、そのケイパビリティの考え方は国連人間開発指標や各国の幸福度指標の開発の基礎となっています。日本でも国や自治体で、そのようなアプローチを採用しようという動きが出ています。
いずれにせよ、客観的に見てよい人生が実現できる条件が整えられているということはウェルビーイング実現の重要な要素になります。
努力と環境の複合的偶然としての“今”
最後の社会的責任というのは、自分を取り巻く社会がよい状態を維持できるように、あるいは課題を解決できるように自ら責任意識を持ち、それに積極的に関わるということです。自分自身の今の境遇は、自分だけで成し遂げたものではありません。周りの支援、理解、協力、幸運、それら全ての複合的偶然として現在が存在しています。そう理解すれば、自分を取り巻く社会に感謝し、持続可能な社会を実現するための責任意識を持つことは当然でしょう。
そのような社会的責任は税金を支払うことで十分と捉える人もいるかもしれません。しかし現実にはそれだけでは社会の健全性が保てないのではないかと考える人や、法的責任以外の社会的責任が存在すると考える人も多くいます。そして社会課題に様々な形で関わっていくことが重要視される時代になってきているのではないかとも感じます。
そのような観点から、この連載では社会の持続可能性を確保するための、より幅広いルール(≒倫理)を尊重し、それに積極的に関わっていくことで自らのウェルビーイングを実現するという要素を重視します。
上の図は以上のことを表しています。「主観的幸福感」「客観的幸福度」「社会的責任(倫理)」がウェルビーイング実現に必要な要素であるとともに、それぞれは完全に独立しているのではなく、お互いに重なる部分も多いということを意味しています。
合理的であることは望ましい
さて、今から取り上げる経済的合理性というのは、上記ウェルビーイング概念の中では主に主観的幸福感の「一部」を取り扱うものと考えてください。ただ、ものごとを分析的に扱う場合にはそれがやりやすいように重要な部分だけ取り出して考えることが必要になります。
例えばリンゴが1つ入ったかごとリンゴが2つ入ったかごがあったとして、どちらを選んでもいいと言われたら普通は「大は小を兼ねる」ということでリンゴが2つ入ったかごをとると考えます。実際には友達のBさんが1つしかもらえていないので自分が2つももらうのは後ろめたいとか、なぜか分からないけれど1つ入ったかごの方がよいような気がするとか、様々な可能性があるでしょう。
しかし、そのようなことを全て含めて理屈を考えることは実際不可能です。したがって、まずはある個人が自分のことだけを考えて、合理的に判断するものと仮定します。友達がどういう状況だろうと、常に「2≧1(1より2の方を選ぶ)」であり、その逆はあり得ません。その背景に「効用」というものの存在を仮定します。効用は自分のことだけ、加えて最終的な結果だけに注目した「幸せ」のようなものだと考えてください。
リンゴ2つで得られる効用はリンゴ1つから得られる効用より大きい。したがって、消費者はリンゴ2つを選択する。そのような一般的には常識的な仮定をもとに、さまざまな社会の現象を考えていくことでたくさんの有用な気づきが生まれました。もちろんそれで全て解決できるわけではありません。ウェルビーイングには上図のような複数の要素があり、その中には経済的な意味で合理的であるという仮定はじゃまになることもあります。
しかし、まずはシンプルな仮定でも分かることをおさえておくことは有用でしょう。例えば「同じものであれば、それが多いほど得られる効用は大きい」。しかし「財が増えることによる効用の増加は、その財の水準が大きくなるにつれて減少していく」。リンゴの例でいうとリンゴが3つもらえる状態から4つもらえる状態になった時に「増える」効用は、リンゴが2つもらえる状態から3つもらえる状態になった時に「増える」効用より小さい。つまり、たくさんもらうと飽きてくるということです。それに「ある財から得られる効用は他の財から得られる効用で代替可能である(ことが多い)」。つまりリンゴを1つ諦める代わりに、ミカンをいくらかもらうことで効用を維持することができるということです。ただし、そのために2つのミカンが必要なのか、半分のミカンで十分なのか、どれだけ必要なのかは人の好みによって異なります。
これら3つの前提からは「予算に限りがあるならば、リンゴばかり買い込むのではなくてミカンなど他の財と組み合わせて買うことでより自分自身の効用を大きくすることができる」という知恵が得られます。それだけ聞くとなんだ、当たり前じゃないかということになりますが、そのような知恵の積み重ねで経済学上の様々な発見がなされてきたと言えるのです。