大月 敏雄
2015年03月02日作成年月日 |
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2015年03月02日 |
大月 敏雄 |
住まい・生活 |
住生活 |
情報誌CEL (Vol.109) |
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親世帯と子世帯などが、つかず離れずの距離を保ちながら住まう「近居」が、近年、注目を集めている。
変わり続ける社会と家族のありようを映し、住まい手が編み出した工夫の産物、近居には、暮らし心地のヒントが隠されているのではないだろうか。
古今の集合住宅を研究し、建築計画や住宅政策にも携わる大月敏雄さんに訊いた。
古くて新しい、近居という現象
近居とは、1970年代くらいから建築学や住居学などの分野で使われていた言葉です。とりわけ1973年は、認知症の老人の問題を描いた小説『恍惚の人』がベストセラーとなって映画化されたり、老人福祉法が改正され70歳以上の老人医療が無料で行われるようになったりしたことで、後に日本の福祉元年といわれるようになった象徴的な年です。この頃は、石油ショックとともに日本の高度経済成長が停滞し、学生運動が終焉してシラケ世代といわれる若者が登場、また統計上は家の数が世帯の数を上回り「これからの住宅は量より質」と言われ始めた時期とも重なります。
このような時代背景のなか、社会的には「独居老人」が問題になりましたが、独居と定義される老人たちによくよく話を聞いてみると、実は子どもが近所に住んでいて、つかず離れず面倒を見ている例があった。いわば「家族資源」を持つ人が互いに近くに住み、子育てや介護などを助け合う近居が、無意識的に行われていた状況があることがわかったのです。
バブルが終焉し低成長時代が続く2000年代以降、近居はさらに増えており、近年改めて注目される概念となっています。給料が安いために夫婦は共に働かざるを得ず、そこに子どもが生まれたら、働きながらどうやって育てるかという問題にぶち当たる。保育所にもなかなか入れない。そういう夫婦がいわば自己防御策として自分たちの親と近くに住み、子育てを手伝ってもらうケースが昨今の近居の典型例です。
発想は住まい手から
大学生の頃から、関東大震災の震災復興で建てられた同潤会アパートや、東京の下町での人びとの住まい方を調査してきました。そういうところで聴き取りをすると、家族のうち誰かしらが近所の別室に住んでいるというケースが数多く見受けられました。例えば、家が狭くて兄妹も多いところでは勉強ができないからと、受験生のお兄ちゃんが近所にアパートを借り、食事のときだけ家に帰ってくる、とかしているんですね。